過去の記事

5月 2007 の記事です。

07/05/31: 課題

昨日・一昨日にわたりマラソンのネタで申し訳ありません。4日目お願いします。

マラソン・ブログに限らず、おける課題は山積みです。しかし、どれからと考えているうちに終わっているの事が多い気がします。ここで残り少ない日を考えて……

まずあがる課題として、計画性がない。

・ブログだけではありません。業務においても全てにおいてもおける課題です。

・マラソン→やると決めても練習することしないでそのまま本番を

ブログ・業務→「その時でいいや」という考え

以上のことを考えて田村さんが仰った『遠くを図る』ができていないことになります。

これからすべきこととして

・『遠くを図る』行動

・やると決めたことはやる。

そして何より

・『計画性を持った行動』すること。

以上のことを踏まえて明日より切り替えを行なうことをする。

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嫌われているということは

おばちゃんです。 サロマ帰りの竹田さんが、本調子でないのでピンチヒッターを返上し今週よろしくお願いします。
がばいばあちゃんシリーズです。
「嫌われているということは、目だっていること」
よく悪く言われたり、反感を買ったりするような人がいます。 なぜかそういう部分が目立ってしまって、人からとやかく言われてしまうんですね。でも、そういう部分
が、「個性」なのです。個性ですから、個性に優劣はありません。誰でも、その存在そのものが、劣っているということはないのですから。
目立つ個性を持っているひとは、うまくやれば人気者になれるかも。
大人になっても、とかく他人のことはとやかく言いがちです。でも良く考えてみると、なるほど目だっているから目立っている
部分について、とやかく言うのですね。おせっかいだったり、ミエだったりするときもありますが、それもその人の個性のなせる
わざで、目についてしまうからだと思います。
自分のことはなかなか見えなくて、人のことばかりよく見えてしまう。みんなそうなのでしょうが、言う人と言わない人にわかれます
ね。言う人はたぶん 目立っている 人のことが気になるのではないでしょうか。自分では、目立っているその人が嫌いと思って
いるはずなのですが、気になっているんだと思います。だから、その人に声をかけてみたらどうでしょうか。
嫌いではなく気になっているのですから、声をかけて話をしてみると、きっと友達になれると思うのです。
今は、大人でも躾ができていない大人がいます。
子供のとき親によく他人のことを見て、いけないなと思ったら自分はどうか考えなさいと言われました。躾てもらっても、できて
いない事があるのに、躾のできていない人は自分は悪くないほかの他人が悪いと思ってしまうのでしょう。
嫌われているということは、気にされていることかも知れませんね。
おばちゃんも、いじわるばあさんにならないように、他人の個性は個性としてみようと思います。

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07/05/30: 気持ち

昨日はコメントいただきながら返答なく申し訳ありませんでした。3日目お願いします。

本来ならここで、マラソンにおける反省等を書くつもりでしたが、本日は、マラソン終えたあとのことを書きます。

山中湖ロードレース終了後、本来ならここまででしたが、勉強会の方々のおかげで楽しみに(?)していたバーベキュー。

レース終わり竹田さんと合流。すると竹田さんは

『もう1週走りに行く』

と迷わずに行っていました。言葉が出ない自分。しばらく仲間が来るまで由美子さんとしばらく待っていました。しかし、一向に来る気配なく別荘に……

すると、真さんの姿発見。しかしまた、言葉を失い、かけるすべもなく。

別荘に着くと既にバーベキューが始まっていました。

自分は、真っ先に報告。するとあたたかい言葉の数々。

この続きはまた明日

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07/05/29: 仲間

おはようございます。2日目お願い致します。

余裕あるかないかわからぬまま上り坂前から、走ったり歩いたりしたことにより、景色を楽しんだり、選手の仮装を楽しんだりでした。また、途中他の選手がぶつかりこけそうになったりと……。

上り坂むかえるに辺り、望月さんの姿が見えていなかった自分は、かなりの焦りを感じ『完走』・『ゴール』が、絶望的に感じていました。

上り坂突入時、ふと過去に本社からSRCを走った際中に、竹田さんより教えていただいたこと思い出し、またスタミナの消耗避ける為にあまり走らず歩くことを考えていました。上り坂途中炎天下とあって気の優しい応援の方が水をかけてくれることがありました。

焦りを感じつつ、ゴールを目指している途中、やっと望月さんの姿を発見。すると望月さんは、

『1km10分でもまだ余裕ありますよ。』

と安心感をいただき、尚且つ途中

『とまらなければ大丈夫ですよ』

等々優しい言葉をかけていただきました。

とうとう10kmの看板を超えた時、まだかなり後ろにいる。そして、11km地点にて望月さんに

『一緒にゴールしましょう』

と話したところ

『自分なりに。先にどうぞ』

本来ならここで引き下がらず一緒にが当たり前です。しかし、自分はその言葉に甘え先に行ってしまいました。ゴールの看板見え向かうと再び坂道。今まで残した力を振り絞る思いで走ったものの坂道にはかなわず。残り何分前のアナウンスが流れた前回、今回はと言うと望月さんの言うとおり余裕がありました。

望月さん本当に有難う御座いました。また、いろいろ申し訳ありませんでした。また、御多忙にも関わらず応援に来ていただいた由美子さん、そして何より勉強会の方々には御礼申し上げます。

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07/05/28: 山中湖へ

望月さん、先週1週間有り難うございました。今週1週間担当します、牛窪です。

本日は昨日行われた山中湖ロードレースについて書かせて頂きます。

期待と不安を迎えた当日。集合し山中湖へ出陣。刻一刻とスタート時間に近づくにつれて弱音をと悪い一面が……。

スタート地点に仲間と共に向かう。

ハーフのスタートの号砲合図。来るは来るは人の塊。15分後にスタートする自分。

そしてスタートの号砲の合図。いよいよ始まったマラソン。

最初の何キロか走り、途中歩くの繰り返し。今何キロの看板を気にしつつ望月さんの姿を懸命に探す。

そうこうしているうちに上り坂地点に。

このつづきはまた明日。

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07/05/27: いざ山中湖へ

おつかれさまです、本日ブログ最終日をむかえました。一週間お付き合いいただきありがとうございました。

本日は山中湖マラソン当日です。期待と不安でどきどきです。不安の方が期待の数十倍大きいです。

2回練習で山中湖を走りましたが感じたのは山中湖は視覚的にはものすごい広く感じますが、いざ走って

見ると距離はそんなありませんでした。自分もそうですが、どこかで視覚で壁を作ってしまい心でも壁を

作ってしまいます。最終的にはやらない道を選んでしまい後で後悔することがおおいのだろうとおもいます。

自分はそうゆうことが多く人生をつまらなくしているとおもいます、チャップリンが言っています、

「人生で必要なのは勇気とほんの少しのお金」、「NEXT、ONE」こうゆう気持ちがあったのでチャップ

リンは面白い人生をあゆめたのだろうと思いました。自分も人生の幅を小さくしないようにしていきたい

です。

それでは、いざ、山中湖へいってきます。

牛窪さん明日からブログ当番よろしくおねがいします。

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07/05/26: 運命

6日目よろしくおねがいします。

最近、自分はよく、人とお会いする機会がございます。そこで自分の性格や行動などに指摘を

うけます。

きびしい指摘をうけると落ち込むみますが言ってくれる方々はやさしい方々だとおもいます。人

はやはり嫌われたくはないです。それでも言ってくだるのです。

神様はこのように自分に足りない物を、人を通しておしえてくれているのだろとおもいます。

神様は良い人生がおくれるようみんな平等にみてくれているんだろうとおもいました。

人との出会いは神様が与えてくれたチャンスで運命だとおもいます。

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07/05/25: 我慢とは

おつかれさまです。4日目よろしくおねがいします。

皆さんは「我慢」というと、どうゆうことを思い浮かべますか、自分は我慢とは「愛する人たちを守る為の手段」

だと思っております。

よく、ニュースなどで我慢できず殺人を起こしたとなどと犯人の弁明で報道されます。自分はこうゆうニュー

スを聞くたび犯人は自分の愛する人たちが世間からの冷たい視線を浴びることを見越してやっているのか

なとおもっています。犯人が我慢することによって被害者家族も被害者も犯人の家族も悲しむことはないの

だから、最近「我慢」ができない人が多くなってきているといわれます。とても恐ろしいことだとおもいます。

もう一度何かに怒りを感じたら「愛する人たちの顔を浮かべてほしいです。」

自分がすごいと思う人は人が嫌がることを進んでやります、そこには「我慢」という言葉があるとおもいま

す、そこから信用を得て、仕事で結果をだせるのだろうとおもいます。

やはり「我慢していやなことをやった人が勝ち」だとおもいます。

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07/05/24: 笑顔

望月です4日目よろしくおねがします。

先日、知人のお見舞いにいってきました。いつも大変おせわになっており最近お会いする機会が

なかったので心配していました。

人を通して入院したと連絡がありかなり長期間入院することになっているとのことでした。

お見舞いに行く前、仕事が好きな人で動くことが好きな人だから落ち込んでいるんだろう

と思いながらいきました。

いざ、病室に入り面会した時、開口一番「ありがとう」と言う言葉と、「笑顔」で出迎えてください

ました。病気の痛さできっと苦しいはずなのに自分達のために「笑顔」をつくってくださったのです

自分が骨折をしたとき人にあっても仏頂面でありました。自分が苦しい時どれだけ相手を心配

させず気配りができるたかがその方と自分との違いで私はすぐに顔をに苦痛にみちた表情を

出して人を不機嫌にさせていたとおもいます。

あと一つすごいなと思ったことがあります。病気で苦しい状態でも話しに「冗談」まじえて

人を笑わせようと必死にがんばってくれるのです。自分だったら愚痴の連発で人を笑わせよう

という発想は生まれていないだろうとおもいます。

この方のところには人が良く集まり人望もあります。自分に人望がないのは上記に書きましたが

このかたは気配りができなにより多くの人を幸せにしようという気持ちが強いからだとおもいます。

自分も「笑顔がいいね」といわれるようがんばっていきたいです。


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07/05/23: MGに学ぶ

ブログ3日目よろしくおねがいします。

昨日のブログでも予告させていただきましたが、本日はMGについて書かしていただきます。MGとは人生ゲ

ーム似ておりそこに企業会計原則や原価計算基準を備えたゲームです。MGとはマネージメントゲームの

略です。

MG本番の日がきました。会場につきまず午前はゲームの説明を受け午後からゲーム開始となります。

ゲームの説明を受けながらも途中で詰まってしまうことがありこのまま本番を向かえて大丈夫なのだろう

かという不安に襲われました。

さあ、いよいよゲームの開始です。まずはじゃんけんで順番を決めやります。このじゃんけんもみんなすこし

でも早い順番をとろうと真剣です。自分はあっけにとらわれていたのが正直な感想です。

自分が意思決定カードを引く順番が回ってきました。ゲームを同じ卓でやっている方々の目線が自分の

引くカードにあつまりました。このカードを引いた瞬間、自分は多くの決断します。物を販売するのか、売るのか

などを決定していきます。このカードにはリスクとういものもあり、そのリスクカードを引くと今まで積み重ねて

きたものが失われることがあります。これらの売り買い実績を資金売り表やマットリックス表などに書いていき

ます。書いた数字などや計算が間違っていると、間違えたところからやり直さなければならないので、早くやり

ながらも確実性をもとめられます。

MGをやっていると自分の癖を発見することができます。自分は以下の癖がでました。

○焦ってしまうと、その場限りの判断をしてしまい次につながる道筋をつけることができなかった

○記入ミスや読み落としを何回もやってしまった。

○しっかりと消しゴムでけしてなく書いてあるのか、書いてないのかわからないことがあった。

以上、以外にも沢山の癖がでてきました。

MGは人生に似ています、自分の計画どおりに人生は歩むのは難しい、そこにはやはり外部からの影響や

いろんなトラブルがでてきます。それらにどう対処し準備しておくのが大切だと感じました。

最後にMGでは自分の書記処理が遅く多くの皆さんにご迷惑をおかけいたしすみませんでした。

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07/05/22: 東京を走る

望月です、ブログ2日目お願いします、昨日はたくさんの書き込みありがとうございました。

MGの話の前にMGのをやるまえにやるランニングについて本日は書いていきます。

スタート地点はMG主催者の社長の田町のマンションからです、そこから皇居までのみちのりになります。

ストレッチをして、さあスタートにしました、走っていると早朝なのに人がいっぱいいるなのと感じたことと、

テレビでよく見る建物が見えてきて「すげ〜」と思いながら走っていました。

一緒に走った人たちがみんな元気な方ばかりで、じぶんもそのパワーをもらい追走いたしました。

一人で走っていると結構つらいものがあり距離も長く感じます、みんなで走るとあっという間でした。

人生もけして一人で孤独で生きているとつまらないものだとおもいます、多くの人と会い一緒に

喜び悲しみをあじあ得たら幸せだろうなと感じさせてくれた経験でした。

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田村さんブログ当番お疲れ様でした、本日から私、望月が襷を受け一週間ブログ当番をさせていただきます

よろしくお願いします。

先日の土曜日、日曜日に東京の方に社員研修に行かせて頂きました、そこではMGやマラソンをやりました。

それらから学んだことは後日のブログで書いていきたいと思います。

今回の研修ではいろんな年代やいろんな職業の方々と交流することができました、そのなかで、今春に入

った新人さんたちの行動や意識から多くのことを学ばせていただき、初心に帰ることの大切さを教えていただ

きました。

具体的な事柄として、朝、一緒に走らせていただいた時、挨拶など大きな声でしてくれたり、部屋の片付けなど、

研修室の片付けなど率先してくれたりとほんとは自分の方が見本を見させるほうでなければならなかったの

にいつの間にか自分は上記に書いたことがどこかで忘れていたというか、やっておりませんでした、新人さん

達の姿を見ていてとても輝いていました、自分もまた一から初心に帰り、当たり前のことが当たり前にできる

人間なりたいです。



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皆さん、いよいよ最終日を迎えました。平凡な男の話を聞いて頂いて本当に感謝しています。

過去の記憶を辿りながら初心に返る事が出来ましたので、本当によかったです。

僕は努力が嫌いですし、今でもそうです。ただ昔から運は太いと思っています。

だから運だけでのし上がってきたと思います。

そこに今は限界を感じ、運だけではどうにもならない事もあるし、

努力が人を動かす事も理解出来る様になりました。

前置きが長くなりましたが、最終日宜しくお願い致します。

「なんだ、意外と簡単じゃん!」…

その慢心さがトラブルを招いたのはその年の冬の大バーゲンに向けての業務です。

まずは来るわ来るわ返品の山々…処理が追いつかず、メーカーさんに警告を受ける始末。

バーゲンセールの商材になるので、なんとかその出荷前までに計上しましたが納期優先で作業の質なんかあったもんじゃありません。

その当時は予定と違うじゃん!等と、どこかで人の所為にしていました。

もしもの為の事まで考える、今勉強した事で言えば“遠くを図る”事が全く出来ていませんでした。

当然在庫管理もメチャクチャです。出荷業務では有るべき物が無い事もありました。

物流センターとしては致命的です。更に入ってきた物が多ければ出て行く物も多いです。

予定を遥かに上回る出荷数でした。本当に出荷できるのか!

メーカーさんには本当に不安にさせてしまいました。さらに夏には無かった福袋の作業もありました。

中身が消費者に届くまで見れない為、もっと慎重さが必要でした。

サイズ違いもあれば、当社で作業した判押しの時のインクが表側についてしまっていたり…

それが百貨店さんの分だった為にえらい問題に…!

出荷の方でも通常の納品場所と違うのに、通常場所に送ってしまったりしてもう全てが無茶苦茶です。10分に一度はメーカーさんからの電話が来ました。もう電話恐怖症です。

荷物の着荷確認のお問合せが主でしたが、もう思考回路が当社の責任でなくとも全て自分の責任と感じるようになっていました。

もう何回謝罪したかわかりません。精神が崩壊していて会社にいないと落ち着かず、家に帰れませんでした。

なんとか作業が終わり、年末ですのでみんなお休みに入っている時も僕の電話は止みませんでした。

メーカーさんは本来は休みだったようですので、本当に申し訳ないことをしました。

社長と年末恒例のスキーに行っても電話は止みません!

スキー場へ行っても、今までずっと寝てなかったので寝てるか電話かのどちらかでした。

あの冬の惨事はきっと生涯忘れられない事でしょう。

ただ今思えばあの出来事は必然だった事であり、結果的には自分を成長させるきっかけにもなりました。

会社にも、メーカーさんにも迷惑をかけてしまった事が責任者としての重責をそこで初めて感じる事ができたからです。

竹田君にも苦労させました。社長にも年始に出勤させてしまい申し訳なかったです。

メーカーさんにも取引が停止にならずに本当に感謝しています。

もう2度とこんな事にはなりたくないと思い今があります。

今はその部署をだいぶ離れられる状態になりましたが、こういう歴史があった事を次世代に伝えてより良い部署にしていく事が大事だと思います。

それが伝統を創る事であり、進化する事、ノウハウを蓄積していく事だと思います。

最後にミシンの仕事の後に物流まで経験出来ましたが、その後何をしたいかというと流通の川上である企画の部分になるわけです。

それはイーリードをメーカーにする事です。

それこそが自分のやりたい事であり、自分の目的であると確信しています。

一番の難関でもあり、一番のやりがいがそこにはあると思います。

さあ、目的を宣言した所でバトンタッチです。明日からはリーサルウェポン・モッチーです。

明日から宜しくお願いします。皆さん、一週間お付き合い下さいまして本当に有り難う御座いました!

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皆さん、残す所あと2日になりましたが最後までお付き合いください。

それでは6日目よろしくお願いします!

植松衣料の存在を知ったのは、おそらくフリーペーパー(DOMO)だったと思います。

そこには、パート、アルバイト募集!ミシンが出来る方大歓迎というような事が載っていたと思います。

僕としては、えっ!ミシン出来る仕事があるの!?と思い早速電話したのを覚えています。

面接当日いきなりアクシデント発生です。場所が分からず迷ってしまいました!そこで自分の悪い癖が出てきました。

(めんどくさい、バックレようかな…)と!ですがイカンと思い留まり電話を入れたら、今は亡き市川さんから丁寧に道を教えて頂いた事を覚えています。

ようやく到着し、いざ面接に行くとそこには現イーリードの社長、当時センター長の○膳さんが担当してくれました。

あいにく面接内容は殆ど覚えていませんが、身体障害者との共存の事と、今は男が欲しいという事と(変な意味ではなく)、酒が呑めるか?という事を聞かれた気がします。

どうやら酒が呑めるか呑めないかは重要な判断基準だったみたいです。(入社後は週3くらいで呑んでいた記憶があります…)

呑める事が功を奏したのか!?その日に採用が決まりました。とにかく若かったので(当時22歳でした)何でもやりますよ〜と宣言していました。

その勢いを評価して頂いたのか??バイトで入ったにも関わらず、数週間後には社員として採用して頂きました。

当時は今も大変お世話になっている某ブランドの商品の検品業務が大半を占めていましたので、その品質表示ネーム(洗い方などが表示された物)の縫い付けをする部門に配属されました。

そこには今でもお馴染み、おばちゃんがいたんですね〜!おばちゃんのミシン技術は凄いです。自分は井の中の蛙でしたよ。僕は洋服を作れるので補修なども当然出来ると思っていましたが、

なかなか上手く出来ず、出来ない事は途中であきらめて、おばちゃんによく叱られていましたね…(今でも)

とにかく落ち着きが無いのか、一つの仕事を集中して出来ませんでしたので、ネーム付けの仕事は結構苦痛でした。補修は補修で細かいので苦痛でした。…想像してた仕事と違うじゃん!なーんて思いながらも仕事ですのでそんなこんなで3年間現場をちゃんと全うしました。

全く無知で幼稚でしたが、同じ会社にずっと留まる事が出来たのも周りの方のおかげだと思います。相当手を焼いたと思います…。

現場を経験しながら、生産効率など数字の出し方、部下への接し方、酒の呑み方!?などいろいろ○膳さんから教わりました。それは今自分が出来ていないことでもあり反省です。

入社3年後、某ブランドの検品業務移管を境に植松衣料はジョブネット原というNPO法人と、(有)イーリードの別法人に分かれます。

いよいよイーリードの誕生です。竹○君、義○さん、○ッチーはこの辺で入社してきました。(ようやくかよ〜)石○さんは僕が入るずっと前からおり、社長と同期です!大先輩なんです。

人が増えたり減ったりしながら、今のイーリードの愉快な仲間達が全員揃うのはもう少し後になります。

イーリードは社長を中心とする営利目的の法人として立ち上げられ、植松衣料に在籍していた殆どの方はイーリードに籍が移りました。

その頃の社長は社長が静岡経営塾のブログで書いてあったように本当に大変だったと思います。

立ち上げ当初、僕は竹田君とパートさんと共に一ヶ月間毎日東京の八王子市にある、とある物流センターの会社に通いました。

目的は植松衣料でお世話になっていた某ブランドの2次物流業務を請け負う為のスキルを学ぶ事です。

植松衣料時代にはプロパー品を検品し、その八王子のセンターへ出荷し、そこから店舗へと各店配送をしていました。

ですが効率化の為に、検品業務を八王子に移管した訳です。逆に今まで八王子が行なっていた店舗から売れ残った商品を返品させ、今度はアウトレット等のセール対象品として発送する業務をイーリードが請け負う事になったのです。

こちらには検品のノウハウはあっても、物流のノウハウは皆無でしたのでこの一ヶ月は本当に必死になってスキルを持ち帰ろうと思いました。

その後、僕がその業務の責任者に抜擢されました。おそらく選択肢が他に無かったものと思われますが、今思うと選んで頂いて良かったと思います。(これは運です!)

人はその立場で本当に成長出来ます。「初めからリーダーの人はいない、仕事に成長させてもらい押しも押されぬリーダーとなっていくんだ」と社長に言われた事を思い出します。

僕は当時本当に自分の無力さを知りました。始めて周りの人のサポートに救われたと実感出来ました。今まで感じる事の無かった感覚です。それ以降本当に人に感謝できるようになりました。

おかげで立ち上げ当初は大きなトラブルもなくメーカーさんも安心されたようです。

ただその慢心が次に引き起こす大問題に発展することになりますが…

この続きは明日の最終日に。

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皆さん、こんなブログでも毎日コメントして頂いて本当に嬉しいです。

まだ平凡な男の人生が続きますが、5日目も宜しくお願い致します。

さて、その店長の行動を見ていて最初はこの人は店長になるべき人じゃないなと思っていました。

ただ自分なんかを受け入れてくれた恩もあったし、ジーパンを解体してリメイクして商品化させて頂いたりなどいろいろやらせて頂きました。

その事もあり、相変わらず店長の接客態度への不満は持ちつつも働いていました。

でも自分のブレーン、比較的声を掛けやすい女性などに接客する事は僕も同じでした。

だからこの人のようになりたくないという一心で、逆の事をやろうと思いました。小さな反抗です。来て頂いたお客さんには必ず「有り難う御座いました」を言いました。

そして明らかに暇つぶしに来たと分かるお客さんでも、店員を避けるようなお客さんでも声を掛けました。

それを見た店長は「だからあいつらは無理だよ」などと言っていました。お客さんをあいつら呼ばわりする事も腹立ちますがとにかく余計に燃えてきました。

努力の甲斐あり店長が声を掛けないようなお客さんに買って頂く事が出来ました。

僕はお客さんを区別しない事を店長に行動で伝えたかったのですが、どうやらその事が感に障ったらしく、何かと理由つけられてその後勤務時間を減らされ、奥で丈詰めやリメイクをする専門になり販売する機会も少なくなりました。

僕のやり方は正しかったのかわかりませんが、その店長の仕打ちには流石に頭に来ました。頭に血が上って何を言ったか覚えてませんが、その月の給料もいらないと出て行ったのを覚えています。

他にやり方、退き方があったと思いますが、当時は当然ばりばり感情本位です。ただ今その店が無いのも頷けますが。

その店を去って、販売という仕事に関わって思ったことは人間関係が崩れやすいという事でした。ノルマのある店ではもっとその傾向が強く出ます。仲間意識が無いのです。

でもお客さんが欲しい物を売る時と、欲しいと思わなかったものを売った時とでは達成感が違いました。そして何より自分がリメイクしたものが売れた時の喜びは何とも言えないものがありました。

元々物作りが好きでしたから、今度はミシンで何か携わる仕事がしたくなりました。販売でも良かったのですが、人間関係が悪いのが嫌というのもありましたが、アパレルの仕事を全てやってみたいという目的があったので、企画→生産→販売の川下からやっていこうと決めました。

ですので次は生産に関わる仕事です。静岡にそんな仕事あるのかと思っていましたが、そこで出会ったのが今のイーリードの前身となる植松衣料という会社です。

続きはまた明日に。

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皆さん、飽き飽きしてると思いますがもう折り返しです。

それでは4日目宜しくお願いします。

地元静岡に帰ってきたはいいけど、初めはなかなか就職ができません。

実家に住んでますが、やっぱり家でゴロゴロしている訳にもいかないので、

とにかくこの時期は行きたい所が見つかるまで色々なバイトを転々としました。

料理店、工事現場、警備員、配達員、喫茶店、工場での流れ作業、ガソリンスタンド等ありとあらゆる仕事を経験しました。

ただアパレル関係の仕事につくまでの繋ぎでやっていたバイトも、時間とともにその目的を見失い、そこでも嫌な仕事から逃げては

次のバイトへと移るという事を繰り返していったのです。ただその日その日を食べていければ良いと思っていました。

社員という枠に収まり責任を持たされる事が嫌だったのか、とにかくお気楽な生活の方が楽だったからだと思います。

完全に目的を見失っている時に、友人から働いているショップの販売員に空きが有って募集しているとの連絡がありました。

自分の本来やりたい事を思い出したかの如く、その翌日にすぐ面接に行きました。

その頃の僕は、髪の毛の色や髪型が日替わりで変わるような風貌でしたので良く面接が通ったなと思います。(相当な人員不足だったからだと思います)

そこは今はありませんが、ジーンズショップです。特に売上のノルマなど有りませんでした。

ただ周りに競合店が多く、価格も高めだったので平日は特に閑古鳥が鳴いていました。

ただその中でも、ショップの店員とはどんなものかを知りたかったですし、最初は売れなかったので売る為の接客術、商品知識などを勉強しました。

その中で、ある傾向がわかってきました。基本的には欲しい物があるお客さんと、ただ寄ってみたお客さんの傾向の違いです。

基本的にジーパン屋なのでジーパンが欲しい人が主に来ます。目的があるお客さんは、店員の方に近づいてくるのに対し、目的が無いお客さんは、店員から離れていきます。

僕はやはり楽な方を選び、近寄ってくる人に対してだけ接客していたように思います。自分も接客されるのは嫌いなので、店員から離れる人の気持ちが分かる気がして勝手に自分を正当化していたと思います。

ノルマは無かったですが、売上げた人の名前と金額はチェックされるので当然店長の茶々が入ります。(ノルマあるのと変わらないじゃん!)

でも当然の事ですね。しかし、その店長も冷やかしのお客には全く興味を持たず、お客さんに「早く帰れ」などと言わんばかりのオーラを出す人でした。

店の前ではタバコプカプカ、「いらっしゃいませ」は言うが、「有り難う御座いました」はお買い上げ頂いたお客さんにしか言いません。

だんだん腹が立ってきました。さあバトル勃発です。続きは明日に。


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皆さん、3日目になりました。よろしくお願いします。

自分は良く考えてみたら、何かを描いたり、作る事が大好きでした。

絵画、漫画、プラモデル模型、ジグゾーパズル、料理(自己満ですが何か?)、木工等、その事に関しては凄い集中力を発揮してよく夜を明かす事もありました。

そこで漠然と読んでいたのがファッション雑誌で、必然的に洋服を作りたいと思うようになりました。

その時はデザイナーズブランドが若者に大いに流行りだした時代でもありました。モード系、モッズ系、パンク系、アメカジ系など、なんとか系などと括られ、呼ばれ始めた時期です。

今では知名度が広がってきましたが、○ニエスベーや、○ケオキクチ、○ールスミス等皆が知っているブランドが街中で目立ってきていました。

若い女性が、○ャネル、○ッチ、○ラダなどの高級ブランドバッグを持ち始め、それにステータスを感じてたのもこの時代からです。

コギャルもこの時代です。僕はモード系に嵌り、この時は本当に服にお金を掛けていました。

もうチョーかっこいいじゃんという理由で、自分はアパレルの道に進むと決意しました。

夢は流行を作り出すことです。

そして高校卒業後、東京の某アパレル専門学校に行きました。

結構有名なデザイナー達も卒業しており、当社取引先の方も卒業しておりました。

残念ながら今はその学校は自分の学級の卒業を最後に廃校になってしまいましたが…

その学校ではアパレルに関するありとあらゆる事を学びました。

おかげでパターンもひけるようになり、ミシンも踏めるようになりました。

ただ相変わらずの遅刻癖は抜けませんでしたが、高校とは違い1秒でも遅れたら学校に入らせてもらえず、欠席扱いになりました。

世間の厳しさをそこで学ばせて頂きました。危うく出席数が足りず卒業出来ない所の一歩手前でなんとか踏み止まりました。

ただ漠然とアパレル系をやると決めたものの、卒業間近になってもどういう職種にするか決めかねていました。

結局は東京でやっていく自信が無く、卒業後静岡へ引き返す事になります。

そこで考えたのが、アパレルに関する仕事を全部やってみようと思いました。自分がどの職種が合うのか試したかったのです。

まずは地元でも出来る販売の職探しです。

続きはまた明日。

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皆さん、しばらくツマラナイ男の人生の話で得る物が無いと思いますがもう暫くお付き合いください。

それでは2日目よろしくお願いします。

ウッシ―のブログで自分はいじめられていたと告白していましたが、僕はいじめる側でした。

基本的にSです!(何言ってんだろう…)

ただ決して親分ではなく、子分タイプです。ドラえもんで言えば、スネオみたいな感じです。イヤミな奴です。

今思うとホントかっちょ悪いです。

今もそうですが自分というものを持っていなかったと思います。

基本的に相手に合わせる生き方しか選んできませんでした。

体を動かす事も好きでしたし、音楽や芸術も好きでしたが、何かに夢中になってやる事が一つもありませんでした。

小学校から高校に至るまで、サッカー、野球、ソフト、バレー、卓球、吹奏楽など他にも色々やりましたがどれも続きませんでした。

友達に誘われたから、あっちの方が楽そうだから等、今の学生に良くありがちな理由ですね。

努力という事が嫌いで、当然勉強も好きな文系しかやらないので偏っていました。

高校の時遅刻は当たり前で、登校途中のヤオハンの屋上でよく弁当を食べてたものです。そして午後から学校へ行くような奴でした。

でも特に困った事は無いので、直そうとも思わなかったんです。それでよく卒業できたと思いますが…因みに当社のモッチ―とは同じ高校の同級生です。(お互い存在は知りませんでしたが…)

そんな感じで漠然と日々過ごしてきて、ある日雑誌を見ていて自分の中で初めて何かやりたい事が芽生えました。

その続きはまた明日。


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おばちゃんから襷を繋がれた田村です。 へタレブログですが、1週間宜しくお願いします!

さて初日から何を書いていいのか分かりませんがとりあえず自分のありのままを書いてみたいと思います。

とりあえず今更ですが自己紹介でもしようと思います。

生まれは東京ですがわずか3ヶ月程で静岡に来ました。(軽く江戸っ子です!)

そして父親は北海道出身なので、先祖にアイヌの血が入っている?…と思ってます!因みに調べた事はありませんがそう信じています!
(自称アイヌのクオーターのクオーター)

幼少の頃は、非常に病弱だったようですぐに熱を出していたみたいです。

だからかもしれませんが、小学生の頃は子供は風の子の如く、一年中半袖、半ズボンで過ごしていたので今でもあまり風邪をひきません!

この頃、毎日一緒に遊んでいた1つ上の親友がいました。自分には4つ上の姉がいますが、相手にしてもらえなかったのでいつもその子と遊んでいました。

本当のお兄ちゃんのように色々と教えてもらいました。その頃、○GENJIというアイドルグループがローラースケートに乗っていて非常に流行っていました。

当然の如く僕も簡単に感化され、よく一緒に踊って歌っていたのを思い出します。

以前コメントにも書きましたが、その親友がある日突然僕の前からいなくなりました。

ある日木登りをしていて、足を滑らせて転落して腕を骨折したのです。

当然病院に行きましたが、その病院に行ったきり原因はよく分かりませんが、彼は帰らぬ人となりました。

友達から「○○ちゃん、死んだって!」って言われましたが冗談にしか捉えられない自分がいました。

当時僕はずっと病院で入院しているんだと錯覚したまま、事実を受け入れられなかったです。

でもやっぱり事実は受け入れられなかったものの、いなくなった寂しさは相当な物で、暫く何もする気になれなかったです。

当時は自分の寂しさや悲しさは全て彼が亡くなった所為にしていたんだと思います。彼が悪いと思っていました。

本当に申し訳ない事をしました。前向きに生きる発想が有りませんでした。

今は楽しい事、辛い事、知らなかった事も生きていれば分かった事も早すぎた彼の人生の分まで生きてやろうと思いますが、

この頃から(今でもそうですが)しょうもない自分が出て来ます。

この続きはまた明日に。

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07/05/12: 幸せな貧乏

「佐賀のがばいばあちゃん」という本をご存知でしょうか。

漫才師の島田洋七さんが、子供の頃いっしょに暮らしたおばあちゃんのエピソードを書いたもので、これがまたとてもおもしろい。

おもしろいばかりでなく、とても元気になるし勉強になりました。洋七さんは、昭和33年広島のおかあさんから、佐賀のおばあちゃんに預けられて育てられました。

激しい戦後、7人の子供を抱えて生き抜いたがばい (すごい)おばあちゃんとの、貧乏生活が始まります。

今だと、貧乏は恥ずかしいと思うけれど、その当時はみんな貧乏 お金持ちのほうが少なかったでしょう。でもその ど貧乏をものともせず、いつか会えるかあちゃん

を思いながらあきれるほど元気に暮らしています。

洋七さんは足が速く運動会は楽しみにしていました。かあちゃんが見に来てくれたらもっと張り切れるのでしょうが、仕事が忙しくて来る事ができません。

それでも、一生懸命に走って一番です。さて、お昼のじかん。みんなは、家族がお弁当をもって校庭で食べますが、洋七さんは誰もきてもらえません。

いつも、ひとりで教室で食べます。お弁当も、他の子のように ウインナーや卵焼きなどのおかずはなく、梅干としょうがです。

すると、担任が来て「先生は腹が痛いんだ。おまえの弁当梅干としょうがなんだって?取り替えてくれないか?」もちろん「うん、いいよ。」と取り替えてあげるのです。

先生大丈夫かなあ と思いながら。次の年も、またつぎの年も、先生はお腹が痛くなるんです。小学校最後の運動会のあと、ばあちゃんに、ふしぎと、運動会に先生が腹痛

になるんだと話しました。ばあちゃんは、「ほんとうの親切はわからないようにするもんだ。」と言いました。

毎年、運動会に腹痛をおこす先生は、家族がだれも来れない洋七さんの為にウインナーや卵焼きの入ったお弁当を食べさせたかったのです。しかも、学年が変わるごとに引き

つぎをして。女の先生もお弁当大盛りにして。とても、あたたかい気持ちになりました。

ばあちゃんの家は、貧乏で、その日の食べ物にもありつけない日もあります。「ばあちゃん、きょうはおかずがないね。」というと「うん、あしたは、ごはんもなか。」ふた

りで、笑いころげます。お茶も、飲んだ後の茶殻はフライパンで炒って塩をふってふりかけにします。魚の骨はもちろん食べます。どうしても食べられない硬い骨は、食べた

あと、お湯を入れてお吸い物にしてから乾燥させ砕いてにわとりにやります。

拾うものはあるが、捨てるものはなか とばあちゃんは言い切ります。貧乏でも、とっても明るいばあちゃんなのです。

まだまだ、たくさんありますが、本全部書くわけにいかないので、興味のある方は本読んでください。続編も3冊あります、全部読みました。

もう1冊でるようなので、楽しみです。ドラマにもなったので、すでに知っている人もいるでしょう。

貧乏だから、不幸せ、お金持ちは幸せ、ということはありません。何がほんとうに幸せか、この本を読むとわかります。貧乏でも、人として一生懸命生きたばあちゃん

ほんとうにすばらしいと思うのです。

私にとって、大切な一冊になりました。

おばちゃん

これで、おばちゃんの一回目の当番は終了させていただきます。
取り留めのない文で、読みにくかったでしょう、ありがとうございました。
せっかく書いたのに、消えてしまったり、なかなか送信にできなかったり、それがたいへんでした。ひとつひとつ、石川先生に教えていただきました。
ありがとうございます。また、めんどうみてね。
来週は、大御所田村さんです、拍手でお迎えください!

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07/05/11: あるべき姿

先月、はがき祭りで子供たちに伝えたいことを鍵山相談役と杉井さんからお聞きしました。

今子供たちに起きているもろもろの問題、心が痛みますね。そうしたことが起きないようにと、いろんなお話をききました。

いま、政府でも道徳の大切さを感じ、「子育てや家庭のあるべき姿」というのを示し親の自覚をもとめる提案をしていくのだそうです。

具体的に、当たり前の事を再確認することからスタートさせるとのことで実に具体的に書いてありました。

あかちゃんには子守唄をうたってあげる。

おっぱいをあげるあいだはあかちゃんの顔をみている。

おっぱいや食事の時はテレビをつけない。

いっしょにうたを歌ったり、ほんを読み聞かせる。

あいさつをする。

うそをつかない。

時間、ルールを守る。

卑怯なことをしない。

などなどです。ほんとうに、当たり前のことですが、できていないことが多いのですね。

私たちも、CLや経営塾で学ばせていただいてますが、同じようなことではないかと思います。

自分のことしか考えないから、ちょっと気に入らないといじめたり、暴力をふるったり。

すこし、いやな事があると、逃げて学校にいかない。人のせいにする。大人でもあることです。

政府で教えることなのか、今はそうしないと、伝える手段がないのかどうなんでしょうか。

昔は、大家族だったり、ご近所のひとが、だめなものはだめと叱ってくれたものです。今、叱ったりすると親が「うちのこに何をするの!」となります。

学校で、宿題や忘れ物をしたら、先生にげんこつをもらうのは当然だと思っていました。自分が悪いからです。

悪いから叱られるのです。いまは、暴力をふるわれたと親に言うから、できないそうです。親も、事実をきちんとしてからにすべきです。

どこか、ちがう何かがちがうように感じます。

そういうことは、親から子へ正しいことは今も昔もかわらないのですから、きちんと伝えていくべきだと思うのです。

学校で道徳を教えるのは良いと思います。でも、家庭でも、良いこと、悪いこと、ちゃんと教えていかないといけないと思います。ほんとうに子供がかわいかったら、正しいことがわからないのは、不幸なことだと思うはずです。

私もこどもに、正しい人になるよう、判断ができるよう伝えていきたいと思います。 

おばちゃん



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tamura さんのコメント

おばちゃん、ブログ有り難う御座います。自分にはまだ子供がいませんが、ちゃんと物事の分別が付く子供に育てたいと思います。学校の先生にも悪い事は悪いという事をちゃんと教えて欲しいと思います。時にはゲンコツも必要です。
07/06/21 14時38分21秒

飯田だすぅ さんのコメント

こんにちは飯田です。 子供にどのように育って欲しいのか・くれるのかは僕達の親がどうするのか?それに対して子供達の気持ちを含め考えないとならないと思います。 今の子供達を見ているとこれからどうなるのか目標をもって行動していって欲しいと思います。 少なくとも良い・悪いの判断は付けられる様には成ってもらいたいと思います。
07/06/21 14時38分37秒

竹田 さんのコメント

由美子さん、ラス前有難うございます。子供は親の背中を見て育つと言いますがまさにそれにつきますね。希望をいわせてもらえれば担任の先生はアツい人がいいですね。
07/06/21 14時38分55秒

山本 さんのコメント

お久しぶりです、山本です。『おばちゃん』さん、ありがとうございます。私は幼少期を小さな漁村で過ごしました。田舎に貼ってあったポスターには【うちの子も よその子も 叱ろう ほめよう】でした。近所のおばさんに花の名前を教えてもらったり、学校帰り知らないおばあさんに傘を借りたりしました。そんな事が当たり前だったんですけど・・・。今は私の田舎でさえ、あまり見かけないですね。地域ぐるみで子供を育てていく必要性を、大人の意識の中に持たなければいけないと思います。
07/06/21 14時39分20秒
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07/05/11: 東海道

私たちの住んでいる静岡県は東西を結ぶ重要な幹線ルートです。それは、古代から静岡県を通過していたようです。

発掘調査の後埋め戻された古代の幹線道路は東静岡あたりから西へ、道幅なんと9mの堂々たるものだったようです。

8世紀〜10世紀ごろすでに使われていたようで、その頃から静岡県は都市と都市を結ぶ要所だったのですね。

もちろん今も、国道1号 東名高速 JR、新幹線そして建設中の第2東名と、海岸沿いに交わったり離れたりしながら東西の

重要なルートです。

ゴールデンウイークや年末年始の渋滞は、ニュースなどでかなりの時間がさかれていますね。

ところが、ようやく実験運転を開始した超伝導リニアモーターカーは、東京から山梨を経由して名古屋にいたるようなのです。

計画も着々と進んでいるようで、2025年にはリニア中央新幹線として営業運転を開始する目標のようです。東京ー名古屋間

をわずか40分で結ぶすごい乗り物になると思います。

私も、山梨のリニアモーターカーを見学したことがありますが、システムをわかりやすく説明する模型やパネルがあり走行実験

も行われていました。試乗会に応募しましたが、はずれてしまいました残念です。

実際リニアが開通したら、すごい事になるだろうなと予想されます。私は当然東海道も、リニアを走らせるだろうと思っていま

したが、山梨を経由すると静岡は通らないようなのです。

古代より、重要な幹線道路だった東海道はどうなるんでしょう。リニアが通らないがっかり感だけでなく、それが通ることによる

経済効果はどうなんだろうと思うのです。

山梨も中央リニア新幹線、こちらは東海道リニア新幹線といきたい。今からでも知事さんがんばってみてよ!

おばちゃんがすっかりおばあちゃんになるけど、「そうだ!京都行こう!」と乗ってみたいから。

ここ東海道線が、淋しくすたれてしまうなんて考えられません。


おばちゃん


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07/05/09:

以前、真さんが色について書いてくれました、私も色についてちょっと書きます。

和の色には独特の微妙な色合いが多いです。浅葱色 緑がかったうすい藍色、萌黄色 芽吹いたばかりの葉の黄色

がかった緑色 瓶のそき 水をはった瓶にうつる空のようなうすい水色・・・錆朱や緋色薄墨などなど。

そんな、色も良いのですがおいしい色好きですね。、

お菓子なんかは、おいしそうに見せるためにパッケージの絵や形、工夫してますよね。お菓子そのものが良くても

包装の絵や色、もようがいまいちだと その味まで低く評価してしまうことがあります。見た目ってけっこう大事だと

思います。特に和菓子は自然の物の色や形を重んじます。季節感を出すのにも色は大切です。

また、作る過程で生じる色もおいしさの必須アイテムですね。蒸したり、煮たり、焼いたりでさまざまに変化するもので

す。かすてらやどらやきのきつね色、わらび粉は弱火でにると透明なぷるっとした感じになるし、あずきは一度茹でこ

ぼしてからことこと煮込むとぽってりした艶やかな餡になります。

あとは、盛り付ける器ですね。器との相性でも色はいろんな表情になります。

たとえば、黒い羊羹なら、黒が引き立つように粉引きの白や朱塗りの漆器も良いですね。でも、これを輪島塗の

黒い漆器にすると、器の黒により羊羹の黒の彩度が高くなり、スーパーで買った羊羹も銘菓の趣になるのです。

黒どうしですが、光と影で彩度に微妙な差ができひきたてるのです。

色は光がないと発色できません。日本人は昔からその光をさまざまに利用してきました。障子もそのひとつです

光は通しますが中はみえません。昔ながらの日本家屋も、軒を長くだすことにより、四季に対応しています。

夏、お日様が高い位置を通りますから長く張り出した軒にさえぎられ、日は座敷には入ってきません。

冬、お日様は低い位置を通りますので、長い軒に遮られる事なく座敷のなかまでさしこむのです。昔から日本人

は自然とともに生きてきました。今風の家屋が多い中、残しておきたいもののひとつです。

長くなりましたが最後に、私の好きなお菓子ベスト3です。

夏目漱石の坊ちゃんに登場する、芋坂のだんご 今の日暮里の羽二重だんご。漉し餡の色なんともいえない

あざやかな色合いです。それと、静岡の石部屋のあべかわもち、ここのきなこは他と違うんです。

あとは、ごぞんじ、とらやの羊羹。めったにたべられませんが。




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飯田だすぅ さんのコメント

こんにちは飯田です。 日本人の感性って凄いと思うんです。大雑把ではなく、その瞬間をちゃんと捉えて表現していますよね。 手先の器用差も素晴らしいところですよね。
07/06/21 14時51分22秒

おばちゃん さんのコメント

飯田さん、いつもありがとうございます。日本人は器用な人が多いですが、昔の人は器用でなくても修行をつんで習得してたんですね。そういう、生真面目さは素敵だと思います。
07/06/21 14時51分38秒

tamura さんのコメント

由美子さん、4日目有り難う御座います!日本の伝統は本当にすばらしいと思います。最近では受け継ぐ人も少なくなってきているらしく、時代背景や、景気などで今日まで続いた技術も失われつつあります。仕方ない事かもしれませんが、残念な事です。
07/06/21 14時51分50秒

越膳 さんのコメント

おばちゃん、ブログ有難うございます!  今はお金と自分が中心の損得勘定が主流です。だから過去大切にされてきたようなことも儲からない、得しない、自分には関係ない、などの理由で時代の波に飲み込まれてしまうのだと思います。今、経営塾で応援する事、人に元気を与えること、他人から信頼されること、など学んでいます。 古き良き日本の素晴らしい考え方も風化していますね。 そうしたことを経営塾では学ばせて下さいます。結局何を言っているかでなく何をやっているか? 伝統や文化、あるいはそうした考え方は大事です、なんて言っても行動していなかったら何の意味も持たないのだと思います。
07/06/21 14時52分03秒

おばちゃん さんのコメント

ありがとうございます。少しづつでも良い習慣にしなくてはと思います。あ、言い忘れましたが、ブログで書いた桜は、市と話し合いがつき残されるようです。よかったです。
07/06/21 14時52分29秒
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07/05/09: 癒し

テノール歌手の秋川雅史さんが歌う「千の風になって」がヒットしています。 会社でも有線で日に何回も流れます。この曲はもともと英語の「a thousand winds]という詩で、欧米ではテロ被害者への追悼などで朗読 されていました。日本では、芥川賞作家の新井満さんが訳し曲をつけて広まっていったようです。 紅白での熱唱は、良かったですね。今までクラシック歌手の歌がこんなに大ヒットしたことはなかったように思います。 毎日毎日ニュースになるのは、暗い話題ばかりです。愛する人を失った人々が、この曲を聴いて再び前向きに生きていこうと立ち上がっているのではないでしょうか。 愛する人が、突然いなくなり骨になってしまったと思うととてもつらく、何も手につかないと思います。 でも、その人が「千の風」になり、いつも自分のそばにいてくれる、見ていてくれると思うと勇気がわいてくるのではないでしょうか。 生きているかぎり必ず別れはあります。毎日いっしょにいる、親でも年をとりますし、かわいがっているペットも人間より寿命が短いから当然のこと、おいていかれます。 それでも、いつまででも悲嘆にくれているわけにもいきません。友人やまわりにいてくれる人達も、きっとつらいと思います。 身体はなくなっても、千の風になって大空をふきわたって、自分とともにあるんだと思えば立ち上がれると思うのです。 そんな思いを、多くの人々が持っているのでしょう、だからこの曲なんだと思います。 おばちゃん

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07/05/07: 守る

すっかり新緑の季節になりました。待ちに待った桜も葉桜になり、みるいはっぱをひろげています。

桜は並木にもよく使われ、群れて咲く姿は日本人に圧倒的人気の存在です。そんな桜の木が伐採されようとしている

ところがあります。静岡市宗長寺にほど近い桜並木のうち6本がその対象のようなのです。

市道を整備するのに、その6本の桜は維持管理がかかるし根もと部分だけ土になるので「道として不完全になるから

というのが、その理由らしい。

近隣の住民は、市からなんの説明もうけていないと憤慨しているし、市ではすでに話し合い済みと相容れない言った

言わないの世界のようです。

そもそも、ここの桜並木を管理してきたのはお寺側の人たちで、いまは大樹に成長しました。60年もの長い間この桜

はお墓まいりの人々や道行く人々をやさしく迎え見守ってくれていました。

こんどは自分たちが守る番、たとえ6本だけでも、自分たちの大切な桜なのだからと訴えています。

お役所も合理化ばかりを通すと、人にとってほんとうに大切なものを、みんな排除しかねないと思います。

守っていかなくてはならないもの、変えていかなければならないもの、変えてはならないもの、ここは良く考えてほ

いし、よく聴いてほしいし、よく見てほしいと思います。

おばちゃん


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07/05/07: プロローグ

今週の当番おばちゃんです、よろしくお願いします。

慣れない為、誤字脱字についてはご容赦のほどお願いします。

私はイーリードの前の植松衣料から22年お世話になっています。それだけ長くいるとほんとに、いろんな事がありました。

入社当時は、右も左もわからず、お弁当のはしのありかまで聞いていましたがなんとか勤めさせていただいています。

子供も小学3年生でしたが、今はおかげさまで無事嫁に行きなんとかやっているようです。

今は、母親と飼い猫2匹オカメインコ1匹それと外猫?匹で相変わらず暮らしています。

業務も、植松衣料のころは、お針子からパターン、裁断とひととうりさせていただきました。今はイーリードでやはりいろいろやらせていただいています。

昔の仲間は、だんだんいなくなり古株ですが、まだまだ初めてのことがたくさんあり、毎度右往左往しています。

社長も、私より数年後に入社ですから。田村さんもはじめはバイトだったんですよ。

時の流れは速いものです。その時は今を必死にいきていますから、わかりませんが振り返ってみますとあっという間です。

今日も、今も刻々と時はながれ時代も移り変わって行きます。人もまた変わります。

変わらなくてはいけないもの、変わってはいけないもの、変えてはならないもの、しっかりと見極めていかなければと思います。

おばちゃん


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いよいよ、ブログ最終日

GWでだれも見ないだろうと思っていましたが、おつきあい頂き有り難う御座います。

昨日、映画「ロッキーザファイナル」を見てきました。

「ロッキー」シリーズといえば、アメリカ映画の象徴です。

いわゆる「アメリカンドリーム」をテーマにしています。

「努力すれば、どんな立場の人でも必ず報われる」というテーマですが、

昨今、これが意味を持たなくなってきている風潮です。

おそらく、スタローンはそれが見るに耐えないと思ったのでしょう。

自分がそうやって、成功してきたことが、廃れていくあるいは否定されていくのです。

あれくらいの人です。変な話、もう映画を作らなくてもいい人です。

作って、失敗するより、作らない方がいいのです。

それに、お金がもし欲しいのなら他の映画にするでしょう。

いかにも、「ハリウッド」といわんばかりのドンパチものを

内容については多くは言えませんが、最後の方はスタローンに

間近でつばが飛びかうくらいのいきおいで説教されているようでした。

「いやー」といいながら自宅に逃げ帰りたいくらいと思ってしまいました。

年齢は60才を過ぎていると思いますが、あの体はすごいなと思います。

リングで戦うシーンも見る限り、代役を立てていないと思います。

テレビコマーシャルでスタローンが日本語で「自分をあきらめない」と言ってましたが、

この映画を1言で言うとそれにつきるとおもいます。

「自分をあきらめない」。今の日本人全てがしなければいけないことではないかと感じました。

最後に、サーバダウンしてもコメントをしてくさった、スタッフの皆さん、経営塾の皆さん

今回このようなチャンスを与えて頂いた社長、ありがとうございました。

少しだけですが、「かわれた」ように思えます。

明日からは、おばちゃんです。

よろしく御願いします。


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こんばんは、いよいよ書くことがなく、この話をします。
ヘタをしたら数日後には消えているかもしれません。

僕には子供の頃から親しい友達が2人いました。
何時も3人でくだらないことをしゃべったり、遊んだりしていました。
算数の解き方を議論したり、国語の単元について共感しあっていました。
家庭科の授業では3人で入れたい調味料を入れて思いっきりまずくてそろって戻した記憶があります。

その内の1人が病弱で20才になくなりました。
もともと、体が弱かったので正直いつ、そうなってもおかしくなかったのですが
僕らの力はソレを超えることが出来るように暮らしていました。そのため
議論したり、笑ったり、怒ったり、泣いたり、正直、よくあんなにできたなと思います。
訃報を聞いたとき僕は仕事で後から駆けつけたのですが先についていたもう1人は
小さくなっていました。普段は態度も体格もでかく、ウザイのですがそのときばかりは、
辛かったのしょう。見るのも辛かったのを覚えています。

僕はその時おもいました。
いつか死神をぶっ飛ばそうと。
そして、いつか僕が死んだときに色んな話をしようと20才で死んだ彼にできない生き恥をさらそうと
生き恥をさらせる幸せを彼に話そうと。
僕は苦労することは嫌いです。辛くなると逃げ出す癖があります。でも、苦労が出来るのは生きているからこそだと思います。
辛く生きているのも辛いと思えるのは生きていられるからできる幸せだと思います。
それを思うと少しだけ楽になれます。

先日、社内で「僕もっと生き恥をさらしたい」といったら
「ishikawaさん。もう勘弁」といわれました。
「やっぱむりかー」と思う今日この頃です。



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田村 さんのコメント

石川君、ありがとうございます。親友を失うのは辛い事だと思います。僕も小学生の時に毎日遊んでいた一つ年上の親友を事故で失ないました。その時はショックというより、その事実が信じられませんでした。きっともっと生きたかったと思います。だからその人の分も生きてやろうと思い、楽しかった事も辛かった事もあの世で会ったら報告したいと思うのでちゃんと生きていきたいです。
07/06/21 15時36分13秒

越膳 さんのコメント

石川君、ブログ有難う! 「死神をぶっとばす」時は私も参加したいですね。 私の中にはいくつかの私がいるようですがどれも自分です・・・ 悲しみも喜びもきちんと受け止めることが出来るようになりたいものです。
07/06/21 15時36分29秒

竹田 さんのコメント

石川さん、有難うございます。ほとんどの人間は生まれ変わったらこうなりたい。とかもっとこうしたい。などと現在よりも未来に興味をもっている方が多いのではないでしょうか。辛いこと、悲しいことがあるかもしれませんがそのぶん楽しいこともあります。幸せになる為に!現実を受け入れどう生きていくかですね。
07/06/21 15時36分41秒

おばちゃん さんのコメント

石川さん、いつもありがとう。おばちゃんも小学1年のとき同級生が亡くなりました。最初はよくわからなかったです、死というものが。実感できなかったのです。つらいですね、さっきまでいた人がいないんですから。今生きている自分精一杯いきたいですね。
07/06/21 15時36分53秒

飯田だすぅ さんのコメント

飯田です。自分の近くにいる人が早い年齢や・突然亡くなるってのは辛いですね。僕も経験有ります。 生き恥をさらせれる幸せな人生を送れる人は、やはり幸せなんでしょうね。
07/06/21 15時37分04秒
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こんにちは、ishikawaです。
昨日は、サーバがダウンし大変でしたが、復旧でしました。
先日、静岡ハガキ祭りに参加しました。
杉井さんと、イエローハットの創業者鍵山相談役とのパネルディスカッションがメインですばらしい時間を過ごす事が出来ました。

そこで、感化された、ishikawa。はがきを書き始めました。
ルールを決めました。1週間に7枚書こうと1日1枚でもいいし、1日にまとめて7枚でも良いと決めて行ったのですが、続きません。
CL勉強会で言い切ったのに続きません。
でも、期限は区切っていません。
そこでこの大型連休中に書き倒そうと思います。

今まで、頂いた方、名刺交換をさせて頂いた方、がんばります。
CL勉強会でハガキくらいかけますわと言ってしまった手前、不純な動機ですが、書きます。
5月4日から1人ハガキ祭りを開催します、
そして、その結果をご報告します。

今日は短めですが、ご容赦いただければ幸いです。

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07/05/03: 委員会

イーリードには4つの委員会がありそれぞれがそれぞれの目的のために活動しています。

・セール委員会
不定期に開催されるバザーの企画運営を行う委員会

・安全衛生委員会
読んで字の通り円滑な事業活動ができるための委員会

・イベント委員会
新年会などの会社の催し物を企画運営する委員会

そして最後が

・IT推進委員会
IT(イタッ、タチワルイ)ではなく、IT(information(インフォメーション)technology(テクノロジー))の略です。

セール委員会は竹田さんが委員長で、直接利益につながる大事な事業です。
本当に偉いなと思います。

安全衛生委員会は真さんが委員長で、これをきっかけに勤務地SRCの周りの掃除を始められたそうです。

イベント委員会は田村さんが委員長で毎回楽しい企画を行ってくださいます。

さて残ったIT推進委員会ですが、なんと私、ishikawaが委員長をさせていただいております。
ITを使って作業の効率UP、会社活動の貢献が目的にしているのですが、実はこれがうまく行っていません。
理由は沢山ありますが、ひとえに私の協調性がない事が原因なのではないかと考えます。
実はこの委員会、たとえば、セール委員会であれば開催日が決まっています。
それに向かって準備をします。ゴールがはっきり出ていてそこまでにすることが決まっています。
イベント委員会も開催日が決まっています。それに向けて、なすべき事を行います。
安全衛生委員会は危ない場所はないか?けがが発生しない危険な場所はないか等、はっきり注意すること
やるべき事が見えています。みんなで見ることによって気がつくことがあります。
しかしこの委員会だけは違います。まず、ゴールが設定しづらいです。
そして、知識がないと応用ができない部分があります。
実務に当たるのが私が対応します。ご存じの通り気分屋です。やったり、やらなかったり。良くないわけで。
この委員会で私は他のメンバーにこういいました。
「この委員会はみなさんが頭で私が体。私を使ってください」
ですが、専門知識がないので何をしたいのかがイメージできません。当然です。
そこで、他のメンバーと私とで溝が出来ます。本当は私がその溝を埋めるべきなのですが、
その術を知りません。私の中ではやってみたいこと試してみたいことはたくさんありますが、その必要性を
伝えきることが出来ていません。
これはまずいと思い解決策を見いだそうとしていますが見つかりません。
見つからないのではなく、見つけていないのです。
つまり、視点を変えて現場(現実)を見ていないのではないかと思います。
作業場及び、スタッフの仕事を見ていないのではないかと思います。
私の立場でアプローチ出来ることをしていないのだと思います。
そう考えると辻褄が合うように思えてなりません。
特殊な部署で特殊な作業ですが、「入り込む」。
「前のめりになる。」この姿勢が足りていないと感じます。
視点を変え「今何が不足しているのか?」そこから逆算してアプローチを試みます。


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みなさん。こんばんは。ishikawaです。
イーリードは事業所が2カ所あります。沼津にある本社部門と、富士市にあるSRC部門です。
本社部門ではアパレル製品の検査業務をしています。
海外で作った製品が日本の店頭に並べて良いか検査をするお仕事をしています。
出荷となると、数百枚から数千枚となります。製品によってはトラックを数台チャーター(貸し切ります)します。
今回はこのトラック業者の所長さんの話をします。
この方ぱっと見。小柄で角刈り金縁めがねと漫画に出てきそうな格好なのですが、実はすごくて急な出荷依頼など
あると必ず何とかしてくださいます。
電話をして「すいません、○○に届ける荷物が発生しました。何とかなりますか?やっぱ、無理ですよね」と話すと
「いやー、わかりました。何とかするのが私の仕事です。詳しい住所と箱のサイズと総箱数を教えてください、
トラック種別を算出します」と言われいわれるがまま必要な情報を報告すると何とかしてくださるのです。
それがいつもです。野球のバッターなど確率の問題ではなく全て、何とかしてくださいますのです。
「何とかするのが私の仕事です。言ってください。」
この言葉、実は誰もが言いたくても言えない台詞だと思います。今の世の中不確定要素が多分にありそれが確定要素的な
部分があります。
トラック1つにしても遊ばせる車はありません。それでもイーリードが突然出荷の依頼が来た。ishikawaが連絡する。
普通に考えれば飛び込みのそんな仕事受ける必要性はないと思います。でも、なんとしてくれます。自社が無理なら
関係業者に連絡を取って「うちは無理やったんで○○運送さんがいきますわ」と言ってくださり何とかしてくださいます。
そのぱっと見、やくざさん的な風貌のため私は勝手に「親父」と社内で呼んでいます。当然、ご本人の前で呼べるわけでもなく
社内の暗黙のあだ名となっています。先日、「親父」から私宛に電話がありました。電話に最初に出た竹田さんは私に「ishikawaさん。親父から電話です。」と言ってくれます。つまりそれくらい熱く、信頼できる人です。
最近では電話をして開口一番「所長、すいません。また、甘えさせてください。」といって話を始めます。
そしていつもの「いやー、わかりました。何とかするのが私の仕事です。詳しい住所と箱のサイズと総箱数を教えてください、
トラック種別を算出します」の流れになります。
これを今の自分の仕事に置き換えて同じ事が出来るかというと出来ません。
確かに条件が違うので一概には言えませんがそれでも言えません。
「なんとかします」この1言が言えません。
「なんとかします」それはどんな状況下でも常に同じ結果を出すという事です。失敗ではなく、成功の。同じ結果を
極端な話365日出すと言うことです。
松井や、イチローより高打率です。信じられません。
顧客に信頼され「あそこに頼めばなんとかしてくれる」。これほどハードルが高く、賛美と尊敬の言葉ないと思います。
確かに事前に打ち合わせをして取り組むのが仕事といわれればそうであり、それが出来なければ仕事ではないといわれても
致し方ないと思いますが、それでも親父は今日も「何とかしますわ」言ってくれています。
立場や、状況が違えどいつかは「ここはishikawaに言ってもらえば何とかしますわ」と言える人間になりたいです。
そのためには、出来ることを少しでも増やす。そして、成功するイメージを常に持つ。どうすれば出来るか?
「親父」も見えない所で並々ならぬご苦労をされているとおもいます。お年を聞くともうお孫さんがいらっしゃるそうで
そんな人から比べたらishikawaなんぞと思いますがそれでも何とかしてくれます。
いつか聞いた話ですが、困っている人がいるから何とかするんですと親父は言っていました。
当時は「ほんとかよ」と思っていましたが、おそらくそうでしょう。
仕事ってある一線を越えるとお金儲けとか損得勘定とか意味を持たなくなるのかなと思います。
自分の会社(能力)が、誰かの役に立ちたいと思うところから始まるのかもしれませんビルゲイツも今は福祉事業がお気に入りで表には出てきません。
親父も同じ所にいるのかなと思います。
私はまだまだ、その下の下でウロチョロしています。
親父がしてくれたことをいつかは誰かにさせていただきたいと思う今日この頃です。