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平電機新聞

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February 2013 の記事です。


今NHKの大河ドラマでは戦国時代を生き抜いた女性「江」についてやっています。私は個人的に歴史が好きなのでいろいろな本を読んでいるのですが、「歴史は繰り返す」と言う通り今の世の中を生きる私たちが参考になる事柄がたくさんあります。今月の平電機新聞では戦国時代には無くてはならない武将「織田信長」について書いてみたいと思います。

皆さん織田信長についてどれほどご存じでしょうか?戦国時代をもう少しで終わらせることができた武将。当時最先端の鉄砲を導入する事で非常に強い軍隊をもっていた指揮者。冷酷非情で寺院などを攻撃の対象とし、気難しやだった人物。学校の歴史の教科書には信長が行った楽市楽座などが書いてあると思います。

どの話もまったくの嘘ではありませんが、歴史の背景などを考えると学校の教科書で教える織田信長像は薄っぺらく感じます。私が個人的に考える織田信長像は超がつくほどの合理主義者です。



戦国時代に生きた武将なら天下統一を誰しも夢見たことでしょう。織田信長はそれを現実にするべく合理的に考えました。まずは自分の領土を広げなければなりません。それには軍隊が必要ですが、昔から「うつけ者」と言われていた信長には始めから沢山の軍隊(味方)があったわけではありません。

昔の戦国時代の軍隊は豪族の連合軍が通常です。戦国大名はその旗頭にすぎません。豪族は自分の領地の農民を連れて戦に参戦したのです。ちなみにこの時代には江戸時代のような専門の武士はほとんどいない時代でした。武士、兵士は平時は農民だったのです。



いざ戦国大名が戦をしたくても豪族達が合意しないとなかなか戦争はできませんでした。半分農民なので収穫の時期や種まきの時期など戦争と重ねたくない時期は沢山ありました。戦ひとつ簡単にできないこの制度が織田信長には非常に不合理に思ったのです。

そこでお金で雇う軍隊(傭兵)を考えつきます。農業と切り離すことで農業行事に左右されない軍隊を作ったのです。しかし、それにはお金が必要です。そこで考えたのが「楽市楽座」でした。

この時代は商売をするには寺院から商売の許可書を購入しなければなりませんでした。商人は高い上納金を払いその地方の専売権などをもらっていましたが、そのせいで需要と供給のバランスはうまくいってなく、経済が発展しなかったのです。そこで信長は自分の領地の中なら誰でも、何でも商売できるようにしました。そのおかげで沢山の人が集まり経済が発展したのです。これも合理的な発想です。

このように昔の習慣をことごとく壊していった織田信長ですが、実は戦争は下手でした。武田信玄や上杉謙信のような戦術的才能がなく、軍隊が非常に弱かったのが原因です。なぜ軍隊が弱いかと言うと、農民の軍隊ではなく傭兵の軍隊だったからです。この時代の人々は皆、何かの組織に入っていました。商人なら座と言われる商業組合。農民なら豪族の兵力ですから、人一人に至るまで全部戸籍管理されていたのです。では傭兵はと言うと戸籍管理されていない人々なので犯罪者やならず者の集団と言うわけです。戸籍管理された農民兵士は戦争時に怖くて逃げだしたら、近所の人々に末代にわたるまで馬鹿にされるので、逃げずに必死に戦いました。それに比べ傭兵はもともとが流れ者なので戦争が起こったら真っ先に逃げました。

これには織田信長も閉口し、なんとか強い軍隊にしようと考えました。まずは通常より長い槍を考案しました。安全に敵を殲滅できるとして傭兵には好評でした。それを追及したのが鉄砲です。安全に敵を殲滅できるので弱い軍隊でも戦える。それには鉄砲が必要不可欠だったのです。

鉄砲入手にはお金がかかります。信長は楽市楽座の範囲を広げました。それによりお金は沢山入ってきましたが、寺院と戦争することになるのです。当時の寺院は僧兵と言う武力をもち、広大な敷地をもつ武力集団でした。信長の楽市楽座により収入源を削られた寺院と戦うのは信長の宿命だったかもしれません。


合理主義者の信長にはファンもたくさんいましたが、それ以上に敵がたくさんいました。今までの豪族を軽視し、ならず者の軍隊を作ったことで豪族や近隣の大名から反感を買い、楽市楽座によって寺院と戦争することにより信者から反感を買ったりしました。そして本能寺の変で明智光秀に殺されてしまうのです。

現代は経済の戦国時代です。グローバル化に加え、リーマンショック、大震災、円高不況など今までにない問題ばかり起こります。平和な時代なら、今までの慣例を大事にしていればよかったでしょうが、今は物事を合理的に考えないと、とても生き残れない時代です。織田信長を見習い合理的に考えることが必要不可欠となっています。また、織田信長の失敗から突っ走るだけではなく、周りへの配慮が必要だと気付かされます。非常に難しいですが、歴史を教訓として生きていけたらと思っています。



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7月23日中国浙江省温州市で中国高速鉄道の大事故が起こり200人以上の死傷者をだしました。今月の平電機新聞では中国の品質について書いてみたいと思います。



近年日本企業は世界市場で苦戦をしています。それはコストを武器とした中国企業に競り負けているからです。たしかに製品を購入する側からすれば安い方が良いのはあたりまえです。しかし、モノづくりはコストも大事ですが品質が非常に重視されます。



7月7日の「msn産経ニュース」では日本が技術供与していた新幹線の技術を自国の技術と言い、中国鉄道省の王勇平報道官は日本の新幹線よりも中国の新幹線が優れているので日本に技術提供したいとまで言っています。そして大事故は起こりました。

他の国の技術のコピーを作るのが有名な中国ですが、今回の新幹線の技術のように自分の技術と言う主張は昔からあります。2010年2月2日の「Livedoorニュース」によるとアメリカのアップル社が出している「iPad」を中国Shenzhen Great Loong Brother社が自社製品の知的財産権の侵害だと息巻いているそうです。Shenzhen Great Loong Brother社の「P88」と言う製品は「iPad」の6ヶ月前から販売されていますが、実はかなりの違いがあります。P88の画面はマルチタッチではなく抵抗被膜方式であったり、ストレージはフラッシュメモリではなくハードディスクであったりと似て非なるものは明らかです。

テレビのインタビューではShenzhen Great Loong Brother社のXiaolong Wu社長が唇を震わせ、拳を握りしめながらアップル社の知的財産権侵害を訴えていました。盗人猛々しいと言う諺がありますが、まさにそれを見た感じがしました。

コピー商品と言えば何も他国の技術だけを盗んでいるのではありません。自国のコピー製品も大量に作り、そのつけを払わされたケースがあります。2010年10月19日の「Searchina」のニュースにアフリカのウガンダに出回っている中国製品の記事がありました。この記事の内容は電池や靴などを中国企業が低下価格を武器にウガンダ市場に参入したが、低価格をついきゅうするあまり商社が粗悪品やコピー商品を販売したためにウガンダ国民から中国製品は劣悪商品と言われ、あげくのはてはウガンダに入ってくる中国製の靴は品質重点検査対象品となり大量の靴や電池がウガンダの倉庫で封印されていると言った内容です。



7月27日のmsn産経ニュースでは中国高速鉄道の列車運行のための装置を納入した中国企業がこぞって「当社製品は安全上の問題なし」の表明をしています。これは当社中国鉄道省は落雷が原因と発表していましたが、実は人災ではなかったかと言った書き込みが中国のネットに流れたためです。今後は過去の冷凍餃子事件のようにどこのだれかが中国政府の指示により悪者にされこの事件が形じょう解決させたことになるでしょう。

技術とは莫大な時間とお金をかけ、それぞれのエンジニアの努力と汗の結晶です。それを簡単に盗もうとする考えが今回の大事故の原因と言えそうです。世の中に無断でかすめとって良いものなど何もないのです。技術の蓄積がないのに技術を極めることなどできません。

今円高や震災の影響でコスト重視のために中国から部材を調達している会社は少なくありません。厳しい世の中だからよりコストにこだわることは悪いとは言えませんが、今回のような事件を見る限り我々が製造するものは品質がいかに重要か思い知らされます。品質はコストよりも大事なんだと肝に銘じる事件だと思いました。



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震災の影響からか今中小企業はどこも大変厳しい状況にあります。その中で頑張って電気自動車を作った会社がありますので、今月の平電機新聞では電気自動車のミルイラを作った株式会社TAKAYANAGIについて書いてみたいと思います。



皆様、電気自動車の「ミルイラ」をテレビや新聞、雑誌などでご覧になったことはございますか?浜松の従業員10人にも満たない中小企業が電気自動車を作った話は話題性があるのかよくテレビに取り上げられます。「ミルイラ」とは遠州弁で幼いと言った意味の「みるい」と静岡の方言の「〜ら(でしょう?の意味)」をつなげた言葉で、その名の通り電気自動車は出来立てで、まだまだ幼い(新しい)車です。



そもそもなぜ株式会社TAKAYANAGIは電気自動車を作ったのでしょうか?この会社はもともと電気自動車のメーカーではありません。木型屋さんだそうです。木型とはウィキペディアによると製品を作るとき機能や外観の確認に使われる木製の模型だそうです。

この木型は車やオートバイを始めいろいろな業界で新商品を製造するときに作られます。株式会社TAKAYANAGIは40年前にはかなりの工賃でお仕事を沢山受注しました。理由は日本が好景気だったこともありますが、木型を作るのには職人技が必要で他業種ではなかなか新規参入が難しかった事があげられます。職人の技の取得は並大抵ではありません。製品を指でなぞるだけで1000分代の誤差もわかる職人技は素人では到底マネはできませんでした。




ところが時代が変わります。CADなどコンピューターの発達により木型を作らない製品が多くなりました。今はシュミレーションソフトで製品の確認ができます。またCADのデーターを使えばNC制御のマシニングセンタや旋盤によりミクロン代で製品の模型があっという間に作れます。3Dプリンターなどは色付で石膏を固めて製品の模型を作るタイプもあるようです。つまり職人技が素人でもできる時代が来たのです。

日本が不景気になるのも重なり株式会社TAKAYANAGIの仕事は激減したそうです。技術力が下がったのではなく、周りの技術力が進化したのです。世の中が悪いと言っても始まりません。何かしなくてはと思いその答えが「電気自動車」だったのです。

始めこの話を新聞で見た時に正直私は「無駄な事をしているなぁ」と思いました。日本には世界に誇れる車メーカーが何社もあり、中小企業の販売網では太刀打ちできないと思ったからです。電気自動車のメーカーは中国などはそれこそ数千社はありますが、それはちゃんとした自動車メーカーが中国国内にはまだまだないからチャンスがあると思い、それぞれの会社が勝手に電気自動車を作るのです。



「ミルイラ」が厳しいと思った理由はその値段にもあります。1台600万円だそうです。しかも1人乗りで趣味で購入するにも高すぎます。実用性を考えるなら4人乗りで値段も100〜200万円が妥当ではないでしょうか?売れないものを一生懸命作る感覚が私には理解できませんでした。

この前テレビのドキュメンタリー番組で「ミルイラ」を見た時に私の考えは変わりました。この会社は「生きよう」としているのがヒシヒシと伝わったからです。会社とは法人と言います。法律で認めれた人なのです。人は生死をさ迷う時に「生きよう」と強く願う人ほど生還すると言われています。会社は人と違い肉体は持ちませんが従業員さん一人ひとりがその代わりです。この番組の中で株式会社TAKAYANAGIの従業員は一丸となって「生きよう」と頑張っていました。

今の中小企業はどこをみても瀕死の重傷です。何もしないと必ず廃業や倒産に追い込まれます。リーマンショック、円高、大震災など簡単に海外移転ができる大企業と違い中小企業はますます追い込まれます。何をするにもまずは従業員全員がどれだけ「この会社を生き残らせよう」と強く願う事が重要だと思います。当社も株式会社TAKAYANAGIを見習い頑張って行こうと感じました。



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今月の平電機新聞では戦国時代で活躍した豊臣秀吉を支えた武将「石田三成」について書いてみたいと思います。

「勝てば官軍負ければ賊軍」と言った言葉があるように石田三成はその後の覇者である徳川家康に戦いを挑んだので豊臣の奸臣(邪悪な家臣)や佞臣(媚びへつらう家臣)と言われてきましたが、実際はかなり優秀な人物だったようです。



石田三成の有名なエピソードに「三献茶」があります。あるとき木下藤吉郎(豊臣秀吉)が鷹狩の帰りに観音寺により、茶を所望すると温かいお茶が茶碗に8分ほど入って出てきた。喉が渇いていた秀吉が一気に飲み干しお代わりをすると今度はさっきより熱いお茶が茶碗に半分ほど入って出てきた。

興味を持った秀吉がもう一杯茶を所望すると今度は熱いお茶が小さい茶碗に入って出てきた。理由を茶を運んできた寺小姓に聞くと喉が渇いた時は熱いお茶は飲めないので温いお茶を沢山だし、喉が潤ったところで茶の味を味わってもらうために熱いお茶を出したと答えた。この寺小姓の気遣いを気に入り秀吉が家臣にした。これが後の石田三成だったと言ったエピソードが「三献茶」ですが、真偽はさておき石田三成が聡明だったことは誰もが認めていることです。

雑誌「一個人」で江宮隆之氏の記事では石田光成は「義」の人だと書いています。豊臣秀吉への忠義があり親友である直江兼続や大谷吉継へは信義があり、統治していた領民には仁義があったと言います。

豊臣秀吉への忠義は秀吉死後の関ヶ原の合戦でもわかりますが、秀吉が天下を取る前からの活躍はあまり知られていません。

織田信長が本能寺の変で倒れた後、秀吉は毛利と素早く休戦した後あっという間に明智光秀を打ちます。属に言う「中国大返し」です。この時秀吉の行動から後方支援は実戦以上に大事だと学んだ石田三成は、後に秀吉が織田家筆頭家老であった柴田勝家と戦う時の食糧、武器の調達や上杉景勝との同盟交渉などを担当し秀吉を天下人へと押し上げます。これは石田三成がこの戦国時代を豊臣秀吉によって泰平にしたいと願ったからにほかなりません。

三成の旗印は「大一大万大吉」と言い、天下の下、一人が万人の為、万人が一人の為に尽くせば必ず天下太平の世が来ると言った願いが込められているそうです。



三成の手腕は「太閤検地」にも発揮されます。当時の税金は米で徴収していましたが、地方ごとに土地を測る単位が違かったり、お米を測る升が違かったりで税金の徴収は不公平を極めていました。そこで全国統一の検知尺と検知升によって検地したところ600万石UPしたのです。人の解釈により太閤検地は善とも悪とも言われていますが、公正公平な光成の性格が伺えます。

公正公平な性格の友人である直江兼続とは上記の上杉家との同盟の時に親交を深め義兄弟とまでなっています。秀吉の死後徳川家康が上杉家に難癖をつけ戦争を仕掛けました。上杉家の家臣である直江兼続は家康への詰問状をことごとく反駁した「直江状」を家康にたたきつけたと言われています。このときも光成は兼続への信義のため、秀吉への忠義のために挙兵し戦いました。

統治していた佐和山城下の人々には仁を持って接しました。領主としての論理では領民の暮らしやすい統治を行い、租税、訴訟、夫役は掟書をつくりそれに基づき公正公平に行いました。飢饉の時は米を領民に与えたりしていたので、それに恩義を感じていた人々は関ヶ原で光秀が敗れたのちも匿ったと言われています。光秀死後も佐和山の住民は地蔵を築くなどして霊を慰めたと言われています。



石田光秀からどのようなことを我々は学ぶことができるでしょうか?自分の信念を貫き、義を重んじ、公正公平に生きることは今の世の中でも容易ではありません。石田三成が加藤清正らから嫌われていたように敵を作ることになるかもしれません。しかし必ず評価してくれる人々はいます。会社として、一個人として石田三成の生き様から少しでも学べたらと思っています。




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年末になり寒い季節になりました。外も寒いが景気も寒いと良く耳にしますが、日本はいつからこのような状態になってしまったのでしょうか?日本経済は再生できるのでしょうか?そんなことを考えている時にNHKの「メイド イン ジャパン 逆襲のシナリオ」と言う2夜連続のテレビ番組を見ましたので、今月の平電機新聞はこの番組について書いてみたいと思います。



既にご覧になった方は内容はお分かりだと思いますが、録画していたこの番組を最近みた私には少なからずショックでした。まずは日本の製造業の人口が激減しているのです。1991年に1,532万人いた日本の製造業で働いている人が今は1,019万人まで減っています。約20年で三分の一まで減ってしまったわけです。

その分サービス業の人口が増えているわけですが、実は従業員一人当たりのGDPで計算しますと製造業が916万9,000円に対しサービス業は約半分の468万8,000円しかありません。つまりサービス業ばかり増えると日本の国力(GDP)が減る一方なのです。なぜこのようになってしまったのか?それは日本企業の戦略がうまくいかなかった事が原因です。

例えばSONYのウォークマンがアップル社のiPodになれなかったのも戦略として失敗した一例です。実はiPodが発売される2001年の2年前にSONYも同じようなシステムをメモリースティックウォークマンと言う形で世に出しています。

ウォークマンを購入した人は音楽をインターネットで購入しそれをウォークマンに転送して聞くことが出来るシステムは今のiPodと同じように思います。何が違ったのか?それはSONYは自社グループで音楽関連の会社を持っていますので、その音楽に所属しているアーティスト中心に曲を売ろうとしました。また、違法ダウンロードを恐れて著作権侵害防止機能を複雑にしたせいで一般消費者から使い勝手が悪いと敬遠されたのです。

デジタル化でも出遅れました。SONYは小さく精密な部品を製造することに長けていました。その利点を生かしてウォークマンを製造したのですが、iPodには駆動系のメカ(小さな精密な部品)は使用されておりません。半導体のチップとバッテリーで構想されています。半導体1個なら自社工場もいらないのでアップル社は自社工場が必要ありません。自社工場を持っているSONYに比べコストで優位性があったのです。




時代も日本企業に厳しかったのも事実です。2001年頃は日本の銀行が吸収合併され経済がメチャクチャな時代でした。日立で1万4,700人、東芝1万8,800人、パナソニックで8,000人、富士通で1万6,400人、NECで6,000人と大リストラの嵐が吹き荒れました。問題はこの時に大量のすばらしい技術者が早期退職で辞めてしまったことです。この早期退職した優秀な人材は中国、韓国、台湾に行ってしまい。今の日本企業をさらに厳しい立場に追いやったのです。




では、どうしたら良いのか?それは中国の大手家電メーカーのハイアールの経営方針にあると私は思います。三洋が家電から撤退したときにハイアールは三洋のタイ工場をそのまま買収しました。日本の三洋からタイ工場を任せられていた日本人を含む従業員がそのままハイアールの参加に入ったのです。三洋時代、タイ工場は赤字続きでしたが、ハイアールの参加になってからは黒字になりました。従業員数も設備も同じなのになぜでしょうか?

それはハイアールの会長の張瑞敏の経営方針にあります。「全ての消費者に対して一人一人が経営者の心構えを持ち行動せよ」と張氏は言います。三洋時代に工場長として赴任してきた日本人の方が言っていました。ハイアールでは製造する人間にも売り上げを上げるように求められるそうです。三洋時代は工場は物を作るだけ、売上は営業の仕事と分けていたそうですが、会社の経緯者ならどうやったら会社が黒字になるかを真剣に考えるはずです。ハイアールはそれを働いている人、一人一人に求めたのです。つまり意識改革により黒字化を達成したのです。



日本大手企業が赤字続きだと報道されます。我々中小企業はさらに厳しい状況に立たされています。日本のモノづくりが再興するには働いる一人一人の意識改革が重要ではないでしょうか?



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平電機は日本の数々のメーカーに愛されています

平電機は商社ではなく、電気接点の製造メーカーです。材料から一貫して製作を行っているので低価格に抑えることができ小ロットから量産まで可能です。お急ぎの場合は、短納期で納品いたします。ご相談下さい。またメーカーならではのサポート、ご提案が可能です。

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