13/09/05: 平電機新聞7月2013(過去)
梅雨が終わりすっかり暑くなりました。前回のネイチャーテクノロジーが好評だったので、今月の平電機新聞も夏のネイチャーテクノロジーを紹介いたします。
夏の昆虫と言えばカブトムシが有名です。体中鎧兜で覆われ子供たちのあこがれの的です。このカブトムシ、実は世界最先端の技術をもっているってご存知でしょうか?それは羽です。
カブトムシの羽は鞘羽と言われる固い羽の下に薄い羽があり、その羽をはばたかせて飛びます。固い鞘羽は体を守る鎧の一部と考えると実質薄い羽で飛んでいるわけです。この薄い羽は飛び立つ前にサッと広がり、飛び終えたらサッと収納されます。さらに非常に軽く丈夫なのが特徴です。
強度があり、軽く、収納が楽なこの羽は実は織り方に特徴があります。それを三浦公亮氏が発見したことから「ミウラ折り」と言われています。これは山折りと谷折りを交互に織って平行四辺形の形で織っていく手法です。この折り方は少しの力で広げたり縮めたりするのに適しており、自然界のカブトムシを始め甲虫類では一般的です。

カブトムシからしてみればあまり力を使わず羽を広げたり収納したりしたいと思うはずですし、進化の過程で「ミウラ折り」を採用した種が多く生き残った事からわかるように非常に効率が良いと言えます。
更にこの織り方により強度が増すので材料を軽く薄くできるのが特徴です。実は皆さんの周りにもよく目にするはずです。それはカン酎ハイやコーヒー缶です。ダイヤカット缶と言われるこれらの缶は「ミウラ折り」で作られています。ひし形のデコボコ模様をご覧になった方も多いのではないでしょうか?
従来のアルミ缶に比べ約20%も材料を削減しながら、この「ミウラ折り」により強度はそのままと言った優れた設計になっています。
「ミウラ折り」は地図にも一般的に使用されています。地図の対角線上を引っ張るだけで簡単に広げられ、収納も簡単な「ミウラ折り」は地図の製造販売会社にいち早く採用されました。
さらに冒頭に書いた世界最先端技術とは人工衛星です。実はこの「ミウラ折り」を発見した三浦氏は宇宙航空研究開発機構(JAXA)で人工衛星の太陽電池のパネルの収納・展開を研究していた人なのです。
宇宙と言うあまり動力が使えない空間でどうやったら太陽電池のパネルを少ない力で収納・展開できるかは課題でした。実際、電波天文衛星「はるか」や宇宙実験・観測「フリーフライヤ」、人工衛星「きく8号」で「ミウラ折り」の技術が使用されています。ネイチャーテクノロジーの可能性はこのように最先端技術にも応用されるのです。
夏で有名な生物には皆さんが嫌いな蚊もいます。蚊のメスは繁殖のために動物から血を吸う事は皆さんご存知の通りです。この蚊の血液を吸う仕組みが非常に優れています。まず細さですが、外径60マイクロメートルと極細です。もっとも細いと言われている痛みがほとんど無い注射針で200マイクロメートルと蚊の針の3倍もあります。人間は通常直径95マイクロメートルより細い針は痛みを感じないと言われています。蚊の進化の過程で痛みが無い針を持つ種だけが生き残った結果だと言えます。

蚊の針はさらに顕微鏡でみるとノコギリの形をしており、それを上下にすることにより針が曲がったり折れたりしない工夫をしています。今の所我々のテクノロジーをもってしても蚊の針と同じ構造の針は量産ベースののせられないと言われています。そこらじゅうにいる蚊は神様が作った量産の痛くない針を持っている事になりますね。
身の回りのいろいろな生き物は我々が想像できない凄い力を持っています。常に好奇心を持つことこそ大発明につながるのではないでしょうか?あの発明王エジソンのように。
こぼれ話
蚊は我々から血を吸うときに唾液を注入します。この唾液には血液を固まらせない成分が含まれており、細い針でも血が凝固せずに吸うことができるのです。ただ、この唾液は我々にとって異物ですので、アレルギー反応がおき痒くなります。さて、ここで考えてみてください。それなら進化の過程で痛くない針を作った蚊ならアレルギー反応を起こさない唾液を作る蚊も現れても不思議ではありません。痒くなければ我々も蚊を毛嫌いしないはずです。しかし、別の角度からみると我々人類は歴史上、蚊を媒介としたマラリヤやテング熱などの病気で命を落としてきました。つまり我々人類は蚊を毛嫌いするように進化したと考えるのが自然ではないでしょうか?蚊の耳元での音や痒くなる仕組みは我々人類が進化の過程で得た蚊を遠ざける仕組みの一つだと考えると納得しますね。
夏の昆虫と言えばカブトムシが有名です。体中鎧兜で覆われ子供たちのあこがれの的です。このカブトムシ、実は世界最先端の技術をもっているってご存知でしょうか?それは羽です。
カブトムシの羽は鞘羽と言われる固い羽の下に薄い羽があり、その羽をはばたかせて飛びます。固い鞘羽は体を守る鎧の一部と考えると実質薄い羽で飛んでいるわけです。この薄い羽は飛び立つ前にサッと広がり、飛び終えたらサッと収納されます。さらに非常に軽く丈夫なのが特徴です。
強度があり、軽く、収納が楽なこの羽は実は織り方に特徴があります。それを三浦公亮氏が発見したことから「ミウラ折り」と言われています。これは山折りと谷折りを交互に織って平行四辺形の形で織っていく手法です。この折り方は少しの力で広げたり縮めたりするのに適しており、自然界のカブトムシを始め甲虫類では一般的です。

カブトムシからしてみればあまり力を使わず羽を広げたり収納したりしたいと思うはずですし、進化の過程で「ミウラ折り」を採用した種が多く生き残った事からわかるように非常に効率が良いと言えます。
更にこの織り方により強度が増すので材料を軽く薄くできるのが特徴です。実は皆さんの周りにもよく目にするはずです。それはカン酎ハイやコーヒー缶です。ダイヤカット缶と言われるこれらの缶は「ミウラ折り」で作られています。ひし形のデコボコ模様をご覧になった方も多いのではないでしょうか?
従来のアルミ缶に比べ約20%も材料を削減しながら、この「ミウラ折り」により強度はそのままと言った優れた設計になっています。
「ミウラ折り」は地図にも一般的に使用されています。地図の対角線上を引っ張るだけで簡単に広げられ、収納も簡単な「ミウラ折り」は地図の製造販売会社にいち早く採用されました。
さらに冒頭に書いた世界最先端技術とは人工衛星です。実はこの「ミウラ折り」を発見した三浦氏は宇宙航空研究開発機構(JAXA)で人工衛星の太陽電池のパネルの収納・展開を研究していた人なのです。
宇宙と言うあまり動力が使えない空間でどうやったら太陽電池のパネルを少ない力で収納・展開できるかは課題でした。実際、電波天文衛星「はるか」や宇宙実験・観測「フリーフライヤ」、人工衛星「きく8号」で「ミウラ折り」の技術が使用されています。ネイチャーテクノロジーの可能性はこのように最先端技術にも応用されるのです。
夏で有名な生物には皆さんが嫌いな蚊もいます。蚊のメスは繁殖のために動物から血を吸う事は皆さんご存知の通りです。この蚊の血液を吸う仕組みが非常に優れています。まず細さですが、外径60マイクロメートルと極細です。もっとも細いと言われている痛みがほとんど無い注射針で200マイクロメートルと蚊の針の3倍もあります。人間は通常直径95マイクロメートルより細い針は痛みを感じないと言われています。蚊の進化の過程で痛みが無い針を持つ種だけが生き残った結果だと言えます。

蚊の針はさらに顕微鏡でみるとノコギリの形をしており、それを上下にすることにより針が曲がったり折れたりしない工夫をしています。今の所我々のテクノロジーをもってしても蚊の針と同じ構造の針は量産ベースののせられないと言われています。そこらじゅうにいる蚊は神様が作った量産の痛くない針を持っている事になりますね。
身の回りのいろいろな生き物は我々が想像できない凄い力を持っています。常に好奇心を持つことこそ大発明につながるのではないでしょうか?あの発明王エジソンのように。
こぼれ話
蚊は我々から血を吸うときに唾液を注入します。この唾液には血液を固まらせない成分が含まれており、細い針でも血が凝固せずに吸うことができるのです。ただ、この唾液は我々にとって異物ですので、アレルギー反応がおき痒くなります。さて、ここで考えてみてください。それなら進化の過程で痛くない針を作った蚊ならアレルギー反応を起こさない唾液を作る蚊も現れても不思議ではありません。痒くなければ我々も蚊を毛嫌いしないはずです。しかし、別の角度からみると我々人類は歴史上、蚊を媒介としたマラリヤやテング熱などの病気で命を落としてきました。つまり我々人類は蚊を毛嫌いするように進化したと考えるのが自然ではないでしょうか?蚊の耳元での音や痒くなる仕組みは我々人類が進化の過程で得た蚊を遠ざける仕組みの一つだと考えると納得しますね。
13/08/29: 平電機新聞6月号2013(過去)
最近は梅雨に入りジメジメした日々が続いています。梅雨と言えばアジサイにカタツムリを思い浮かべる人は多いでしょう。このカタツムリが凄い能力を持っていることを皆さんご存知でしょうか?今月の平電機新聞ではネイチャーテクノロジーについて書いてみたいと思います。

カタツムリは巻貝の仲間で殻を持って陸で生活しています。私たち人間と同じように陸で生活しているので、排気ガスや泥、埃、黄砂など様々な汚れに接しているわけです。我々の車は外に置いておくと埃だらけになりますが、カタツムリの殻が汚れているところを見た時があるでしょうか?実はカタツムリの殻には汚れが付着しにくいのです。
殻の主成分はタンパク質とカルシウム、そしてある種のカタツムリは乾燥剤でもよくつかわれるシリカの層を殻につけています。乾燥剤でつかわれるのでお分かりでしょうが、シリカは水分を集める働きがあります。このシリカは二酸化ケイ素と呼ばれ地球の地殻にたくさんあるので、成分が特殊ではありません。その構造が特殊なのです。
カタツムリの殻を電子顕微鏡でみると小さい溝がたくさんあります。溝があれば平な面にくらべ表面積が増えます。表面積が増えると水がくっつきやすくなり、雨が降っていなくても空気中の水分を殻の表面にまとわすことができます。つまり殻の外側に常に水のコーティングがされているのです。

水のコーティングをされていると頑固な油汚れもへっちゃらです。ためしに油性のペンで殻に落書きしても、油と殻の間に水が入っていますので、水洗いするだけでアッと言う間に汚れが落ちます。
この構造に目を付けたのが日本のタイルメーカーのINAX社です。タイルの表面にシリカの微粒子を吹き付け人工的に小さい溝を作ったのです。このタイルは水だけで汚れが落ちるので今では建物の外壁などで使用されています。将来もしかしたら洗剤が必要ない時代が来るかもしれません。
自然のテクノロジーが非常にすぐれているのは何も今に始まったことではありません。皆さんもそこらじゅうで目にするマジックテープも元々は植物から考案されました。
最近舗装された場所が多くなりましたが、山へいくと雑草がたくさん生い茂っています。この雑草の中を歩き回るとズボンや靴下にオナモミやゴボウなどの種子がくっつきます。これらの種子をぞくに虫ではありませんが「くっつき虫」と言われています。くっつき虫は植物が種子を動物などに引っ付かせて遠くで自分の子孫を増やそうとした進化だと言われています。

これをみたスイス人のジョルジュド・メストラル氏がシートでくっつき虫の構造を作ったら、簡単にくっつけたり剥がしたりできる製品ができるのでは?と考え、1955年にナイロンで疑似くっつき虫を作り出します。これが世界的に広がり、今では靴や鞄をはじめありとあらゆる所で使用されています。これも自然のテクノロジーなのです。
近年は中国の低価格製品に日本企業が苦戦させられています。日本の技術は凄いと言われていますが、ヒット商品がなかなか出ないのも原因の一つではないでしょうか?
スマートフォンはすでにアップル社かサムスン社に市場がとられ、コンピューターでは中国や台湾の企業にいいようにやられています。

ヒット商品を作るのには何もとんでもない物を考え出す必要は無いと思います。ネイチャーテクノロジーのようにその辺の生物から学ぶべきことは山ほどあるのですから。「灯台下暗し」で身の回りからヒントを得る事が今の日本には必要かもしれません。

カタツムリは巻貝の仲間で殻を持って陸で生活しています。私たち人間と同じように陸で生活しているので、排気ガスや泥、埃、黄砂など様々な汚れに接しているわけです。我々の車は外に置いておくと埃だらけになりますが、カタツムリの殻が汚れているところを見た時があるでしょうか?実はカタツムリの殻には汚れが付着しにくいのです。
殻の主成分はタンパク質とカルシウム、そしてある種のカタツムリは乾燥剤でもよくつかわれるシリカの層を殻につけています。乾燥剤でつかわれるのでお分かりでしょうが、シリカは水分を集める働きがあります。このシリカは二酸化ケイ素と呼ばれ地球の地殻にたくさんあるので、成分が特殊ではありません。その構造が特殊なのです。
カタツムリの殻を電子顕微鏡でみると小さい溝がたくさんあります。溝があれば平な面にくらべ表面積が増えます。表面積が増えると水がくっつきやすくなり、雨が降っていなくても空気中の水分を殻の表面にまとわすことができます。つまり殻の外側に常に水のコーティングがされているのです。

水のコーティングをされていると頑固な油汚れもへっちゃらです。ためしに油性のペンで殻に落書きしても、油と殻の間に水が入っていますので、水洗いするだけでアッと言う間に汚れが落ちます。
この構造に目を付けたのが日本のタイルメーカーのINAX社です。タイルの表面にシリカの微粒子を吹き付け人工的に小さい溝を作ったのです。このタイルは水だけで汚れが落ちるので今では建物の外壁などで使用されています。将来もしかしたら洗剤が必要ない時代が来るかもしれません。
自然のテクノロジーが非常にすぐれているのは何も今に始まったことではありません。皆さんもそこらじゅうで目にするマジックテープも元々は植物から考案されました。
最近舗装された場所が多くなりましたが、山へいくと雑草がたくさん生い茂っています。この雑草の中を歩き回るとズボンや靴下にオナモミやゴボウなどの種子がくっつきます。これらの種子をぞくに虫ではありませんが「くっつき虫」と言われています。くっつき虫は植物が種子を動物などに引っ付かせて遠くで自分の子孫を増やそうとした進化だと言われています。

これをみたスイス人のジョルジュド・メストラル氏がシートでくっつき虫の構造を作ったら、簡単にくっつけたり剥がしたりできる製品ができるのでは?と考え、1955年にナイロンで疑似くっつき虫を作り出します。これが世界的に広がり、今では靴や鞄をはじめありとあらゆる所で使用されています。これも自然のテクノロジーなのです。
近年は中国の低価格製品に日本企業が苦戦させられています。日本の技術は凄いと言われていますが、ヒット商品がなかなか出ないのも原因の一つではないでしょうか?
スマートフォンはすでにアップル社かサムスン社に市場がとられ、コンピューターでは中国や台湾の企業にいいようにやられています。

ヒット商品を作るのには何もとんでもない物を考え出す必要は無いと思います。ネイチャーテクノロジーのようにその辺の生物から学ぶべきことは山ほどあるのですから。「灯台下暗し」で身の回りからヒントを得る事が今の日本には必要かもしれません。
13/08/22: 平電機新聞5月号2013年(過去)
最近本屋に行くと百田尚樹氏著の「海賊と呼ばれた男」が平積みされています。これはあの石油で有名な出光の創業者である出光佐三氏の生涯を書いた小説です。今月の平電機新聞では出光佐三氏について書いてみたいと思います。
出光佐三氏は明治18年に福岡県宗像市で生まれました。8人兄弟の3番目で父は染料に使われる藍玉を仕入れ販売する問屋を営んでいました。家は当時裕福なほうだったので神戸高商、現在の神戸大学を卒業しています。その卒業論文では石炭について書いており、現在でもその論文は保存されているそうです。
石油は当時はまだまだ一般家庭に広まっておらず石炭が全盛期の時代でした。石油の問題点は掘るのにコストがかかり、液体のため貯蔵も大変なため当時の石油会社でさえ石炭に取って代わる燃料とは考えていなかったといいます。その時代に出光氏は石炭の問題点(埋蔵量に限りがある、日本の石炭は露天掘りができないでのコスト面で海外に負ける等)を卒論で書き、今後は石油の時代がくると予想します。

大学を卒業した出光氏は2年ほど神戸の従業員数人の機械油と小麦粉を扱う商社に入りますが、父親の事業失敗のため自分で独立することを決意し、機械油の問屋を九州北端の町門司(もじ)で開業します。今でこそ出光は大企業ですが、身内で始めた商社は当時25歳の出光佐三氏が朝から晩まで働いても赤字続きだったと言います。
当時石油製品は灯油がメインで使われていましたが、灯油はすでに仕入先の日本石油が販売問屋を決めていて、新参者の出光商店では下火と言われている機械油しか販売させてもらえませんでした。さらに日本石油では最低価格を決めており、地域ごとに販売問屋をきめていたため売り上げを伸ばすのは至難の技でした。
そこで出光氏は考えます。どうやったら機械油を買ってもらえるのか?お客さんとしては価格もほとんど同じなら以前のなじみのところから仕入れます。問屋ですので仕入れてそれを売るだけですから訪問販売等のサービスがあったとしてもなかなか販路拡大は厳しいです。そこで油の調合を考え付きます。
当時機械油は、重い機械の潤滑油と軽い機械の潤滑油は同じ製品を使っていました。潤滑油の性能が大きく仕事に左右する会社では性能が良い海外製の潤滑油を使用していましたが、価格が高かかったため、お客さんが満足する性能の機械油をブレンドし価格を海外製よりも安くすると言った商法を考案します。
そこで目をつけたのは漁船の燃料です。当時は燃料といえばガソリンか灯油でしたが、もしこれが安い軽油を燃料として使えばコストダウンになると考えました。そこで漁業関係者に安い軽油を燃料として使ってもらうことを提案し、実験の結果安い軽油でもエンジンに問題が無いことを証明し軽油を大量に販売することに成功します。
その後、出光氏は満州に進出します。満州の最大の会社満州鉄道へ車軸油を売ることを考えるのです。満州鉄道は当時アジアで最大級の会社です。今も昔も同じですが、大企業は中小零細企業など相手にしてくれません。しかし不屈の精神で出光氏は自分がブレンドした油が海外性より品質が良いことを証明します。もちろん値段は海外製より安く満鉄に口座をもうけることに成功します。
これを期に海外進出に力をいれます。日本では縄張りや最低価格などがうるさく自由に商売ができません。そこで満州、中国、東南アジアなどに支店を増やし海外展開をしていきます。第2次世界大戦中は社員も多数徴兵されましたが、日本のため、また支店を出している現地の人のために従業員は他社の2倍以上働き石油製品を供給し続けました。
しかし1945年に終戦を迎え、海外の支社や資産はすべて失いました。その状態でも出光氏は従業員を解雇することなく事業再会に動きます。ただ、アメリカの占領下にあった日本では石油は自由に扱える商品ではなかったので、それこそ何でもやったそうです。農業、漁業、ラジオの修理業。
その後、石油が自由に扱えるようになってくると、良い石油を日本国民に安く供給するために、当時石油を牛耳っていたセブンシスターズと言われる海外の7社と戦います。敗戦後の日本は品質の高い石油を世界水準より高い値段で購入していました。それはセブンシスターズの策略でした。そこでセブンシスターズの息のかかっていない石油を探します。
それが当時日本と国交正常化がまだ行われていなかったイランでした。イランはイギリスの石油会社(イギリスの資本が入った会社で、セブンシスターズの一員)ともめていたために経済制裁を受けていて石油を販売できずにいました。
そこで出光氏はイギリス海軍と戦うかもしれない危険を冒しながら自社のタンカーをイランへ派遣し無事品質の良い石油を日本に持ち帰るのです。それにより日本はセブンシスターズに牛耳られること無く国際社会でも競争力が持てる国になったのです。
出光佐三氏は「士魂商才」の経営者といわれています。武士の精神と商人の才能と言うこの言葉は「商売はお金儲けだけのためにある」と言う考えの人々とは明らかに違うアプローチでの経営を考えています。出光氏の生涯を書いたこの小説を読んでみると苦労の連続です。しかし「士魂商才」の経営でこれらの困難を乗り越えていきます。現在のわれわれ日本の中小企業も困難の連続ですが、出光氏の精神でこの時代を乗り越えたいと感じました。
出光佐三氏は明治18年に福岡県宗像市で生まれました。8人兄弟の3番目で父は染料に使われる藍玉を仕入れ販売する問屋を営んでいました。家は当時裕福なほうだったので神戸高商、現在の神戸大学を卒業しています。その卒業論文では石炭について書いており、現在でもその論文は保存されているそうです。
石油は当時はまだまだ一般家庭に広まっておらず石炭が全盛期の時代でした。石油の問題点は掘るのにコストがかかり、液体のため貯蔵も大変なため当時の石油会社でさえ石炭に取って代わる燃料とは考えていなかったといいます。その時代に出光氏は石炭の問題点(埋蔵量に限りがある、日本の石炭は露天掘りができないでのコスト面で海外に負ける等)を卒論で書き、今後は石油の時代がくると予想します。

大学を卒業した出光氏は2年ほど神戸の従業員数人の機械油と小麦粉を扱う商社に入りますが、父親の事業失敗のため自分で独立することを決意し、機械油の問屋を九州北端の町門司(もじ)で開業します。今でこそ出光は大企業ですが、身内で始めた商社は当時25歳の出光佐三氏が朝から晩まで働いても赤字続きだったと言います。
当時石油製品は灯油がメインで使われていましたが、灯油はすでに仕入先の日本石油が販売問屋を決めていて、新参者の出光商店では下火と言われている機械油しか販売させてもらえませんでした。さらに日本石油では最低価格を決めており、地域ごとに販売問屋をきめていたため売り上げを伸ばすのは至難の技でした。
そこで出光氏は考えます。どうやったら機械油を買ってもらえるのか?お客さんとしては価格もほとんど同じなら以前のなじみのところから仕入れます。問屋ですので仕入れてそれを売るだけですから訪問販売等のサービスがあったとしてもなかなか販路拡大は厳しいです。そこで油の調合を考え付きます。
当時機械油は、重い機械の潤滑油と軽い機械の潤滑油は同じ製品を使っていました。潤滑油の性能が大きく仕事に左右する会社では性能が良い海外製の潤滑油を使用していましたが、価格が高かかったため、お客さんが満足する性能の機械油をブレンドし価格を海外製よりも安くすると言った商法を考案します。
そこで目をつけたのは漁船の燃料です。当時は燃料といえばガソリンか灯油でしたが、もしこれが安い軽油を燃料として使えばコストダウンになると考えました。そこで漁業関係者に安い軽油を燃料として使ってもらうことを提案し、実験の結果安い軽油でもエンジンに問題が無いことを証明し軽油を大量に販売することに成功します。
その後、出光氏は満州に進出します。満州の最大の会社満州鉄道へ車軸油を売ることを考えるのです。満州鉄道は当時アジアで最大級の会社です。今も昔も同じですが、大企業は中小零細企業など相手にしてくれません。しかし不屈の精神で出光氏は自分がブレンドした油が海外性より品質が良いことを証明します。もちろん値段は海外製より安く満鉄に口座をもうけることに成功します。
これを期に海外進出に力をいれます。日本では縄張りや最低価格などがうるさく自由に商売ができません。そこで満州、中国、東南アジアなどに支店を増やし海外展開をしていきます。第2次世界大戦中は社員も多数徴兵されましたが、日本のため、また支店を出している現地の人のために従業員は他社の2倍以上働き石油製品を供給し続けました。
しかし1945年に終戦を迎え、海外の支社や資産はすべて失いました。その状態でも出光氏は従業員を解雇することなく事業再会に動きます。ただ、アメリカの占領下にあった日本では石油は自由に扱える商品ではなかったので、それこそ何でもやったそうです。農業、漁業、ラジオの修理業。
その後、石油が自由に扱えるようになってくると、良い石油を日本国民に安く供給するために、当時石油を牛耳っていたセブンシスターズと言われる海外の7社と戦います。敗戦後の日本は品質の高い石油を世界水準より高い値段で購入していました。それはセブンシスターズの策略でした。そこでセブンシスターズの息のかかっていない石油を探します。
それが当時日本と国交正常化がまだ行われていなかったイランでした。イランはイギリスの石油会社(イギリスの資本が入った会社で、セブンシスターズの一員)ともめていたために経済制裁を受けていて石油を販売できずにいました。
そこで出光氏はイギリス海軍と戦うかもしれない危険を冒しながら自社のタンカーをイランへ派遣し無事品質の良い石油を日本に持ち帰るのです。それにより日本はセブンシスターズに牛耳られること無く国際社会でも競争力が持てる国になったのです。
出光佐三氏は「士魂商才」の経営者といわれています。武士の精神と商人の才能と言うこの言葉は「商売はお金儲けだけのためにある」と言う考えの人々とは明らかに違うアプローチでの経営を考えています。出光氏の生涯を書いたこの小説を読んでみると苦労の連続です。しかし「士魂商才」の経営でこれらの困難を乗り越えていきます。現在のわれわれ日本の中小企業も困難の連続ですが、出光氏の精神でこの時代を乗り越えたいと感じました。