このところ江戸の文化や風俗を取り上げた本をよくみかけます。

それらには、庶民の普段の暮らしぶりなどが書かれており、今よりもずっと自由なものだったようです。

その中から見えてくるものは現在の日本人が捨ててきたもの、忘れてしまったもののような気がします。

例えば家、今と昔で大きく違うのは扉でしょう。最近では、一戸建てのお宅も玄関はドアの家が多いようです。

ドアの場合は、開けるか閉めるかどちらかですが、引き戸は好きな位置で止められます。

この中途半端が、程よい人間関係を保つのに良いというのです。日本家屋の特徴である、上がりかまちや縁側も、そこに

とどまることで「これ以上は干渉しません」という意思表示になります。

ですが、その位置にいると その家の事情 子育てはどうか お年寄りの具合はどうかなど、うすうす察しがつき気遣って

あげることができます。家庭の中と外社会が交わるところが、日本家屋の中途半端な、引き戸であり縁側であり、上がりかまち

であったように、思います。

ドアに閉ざされた家の奥で、一体なにがおきているのか伺い知ることはできません。

躾と称しての子供の虐待、家庭内暴力、誰にも気づかれずに苦しむ人々。

大事なものを捨ててきた、現代日本の社会がみえてきます。

プライバシーの名のもとに、干渉を拒み、隣近所や友人との付き合いもそこそこでは、躾のできた良い子は育ちません。

まずは、自分からこのあたりを考えてみたいと思います。

今何が大事か、大きな問題ではないかと思います。