おはようございます。ishikawaです。

4日目お願いします。


昔、日曜日の夜9時に「日曜洋画劇場」という番組で淀川長治さんがナビゲーターをされていました。本編が始まる最初と、最後に登場され、見所、出演者、スタッフの略歴、他の作品の紹介などをされていました。
すでにお亡くなりになられており、当然お会いしたことなどないのですが、氏の口癖が、


「つまらない映画など1つもない」「どんなにつまらない映画でもおもしろいところを拾って、それを説明する。それが、僕の仕事だ」。


その信念で解説された映画はとてもおもしろく、また、この役者さんがあの映画にでていたり、この監督さんがあの映画を撮っていたりと新たな発見も多数ありました。


私は、映画については素人です。見方もろくにわからず、作り方もわかりません。それを素人がみてもわかるように最初に解説され最後は、明日、学校や職場で話したくなるようなトリビアを教えていただいたと思います。解説者とは何かというお手本のように私は思いました。


最近、私が見る解説者の方はどうしたことが、批判や自分の自慢話をされる方にたまたま多く出会います。たとえば野球の場合。失敗したプレーを批判することは誰にでもできます。なぜ、失敗したのか?失敗してしまう理由。素人にはわからないプロ同士の駆け引きを解説してほしいと思うのですが、それが私がみる試合にかなりの高確率で出会ってしまいます。


彼らと淀川氏で何が違うのでしょうか?どれだけ対象(映画やこの場合野球)と人間を愛せるかの違いではないかと私は考えます。批判をする人は自分が好き好きでたまらないのではないでしょうか?そのため、相手を認めたくない。認めない。自分が常に優位に立っていたい。だから、他者を否定するのではないでしょうか?


淀川氏の場合、映画がすき。それを作っている人間も同じくらいに好きだから、上述のようなコメントが出来るのではないかと私は考えてしまいます。


1つの好きな物に対してそれに関わる人、すべてが好きになる。すべてをひっくるめて好きになる。認める。些細なことでも良いことは拾って広報する。
そんなことを学びました。