04/26: 「一隅を照らす」
平成18年4月26日
先日聴いた講演を講演録にしましたので張っておきます。
こんな生き方をしたいと、最近思っています。
「東本願寺派 真楽寺住職
「一隅を照らす」
人間は1本のロウソクである。一度火をつけ消えるまでにどれだけ他の人に光を与えられるかである。たかがロウソクというが暗闇の中ではかなりの光である。この世に生まれ、死ぬまでにどれだけの人に生きる力を与えられるか?それが人間の生き方である。
周囲へ光を及ぼしたい!そこから今日の「一隅を照らす」という話になる。
私は隅を照らすような仕事をしていきたいと思う。
1200年前に、伝教大師「最澄」という人がいた。京都の西にある比叡山延暦寺で「山家学生式」という決まりを作った人。
比叡山延暦寺は山岳仏教。東本願寺は町仏教。青い火、赤い火の近くだと人は堕落した。山岳仏教も一般の人のために里へ降りた。
山岳仏教の比叡山の伝教大師「最澄」は士農工商の身分制度を無視し、「勉強したいものは私のところへ来い!」と言って、向学心のある人は山の方へ行った。
衣食住すべてを見た。大人数なので決まりを作った。それが「山家学生式」
30年前、自分が教育委員長だった時、教育委員の5人の方に言った。
「比叡山へ「山家学生式」を見に行こう!」
教育の原点は一隅を照らす人材を育てる、人間の養成の必要がある。
教育委員会の人たちと一緒に比叡山へ行った。
秘宝館へ行った。銀行の金庫のような分厚い鉄の扉をあけると15畳ほどの真ん中に金庫があり、その中に「山家学生式」がある。
紙は300年も経つとぼろぼろになると言われているので、ページをめくるのが恐かったが、その頃の本はすべて巻物でホッとした。だから1巻2巻という。
「一隅を照らすこれ即ち国宝なり。径寸十枚これ国宝に非ず」
(意訳:隅を照らすような人はこれは国の宝だ。直径3.3cmの宝石を10枚持っていてもこれは国宝ではない)
「国宝何物 宝道心也 有道心人 名為国宝」(道心→求道心)道を求める心が国宝である。
永平寺の道元禅師の言葉「高くとも打つべく、深くとも釣るべし」
(どんなに高いところを飛んでいる鳥でさえ工夫をすれば、弓で撃てる。どんなに深く潜っている魚でさえ工夫すれば釣れる。)
一隅を照らすとは、「その人がいるだけで家庭が明るい。その人がいることによって会社が素晴しい。その人がいることにより会社が活性化する」などのことである。
(マザーテレサについて書いた紙を読む)
『マザーテレサは1928年インドに派遣され、もっとも貧しい人々への奉仕に生涯をささげる決意をしました。
「なくても与える」という彼女の信念は、惨めな貧苦の中で病む人たちを、温かく包み込みました。たとえ愛の一と声をかけるだけでもいい、形あるものをあたえなくても、共に悲しみ、共に喜ぶことによって幸せを分け合うことはできる。愛は物や金だけではない。
中略
釈迦は2000年前に「無財の七施」を説いて財が無くても七つの施しができると言いました。
1. 捨身施=身をもって行う施し
2. 心慮施=思いやり、気配りの施し
3. 和顔施=和やかな顔で人に接する
4. 愛語施=愛情のこもった言葉づかい
5. 慈眼施=慈悲の眼で人を見る。(アイバンクへ献眼登録をする)
6. 床座施=車の中で座席をゆずる。自分が一歩下がって、人を立てる。
7. 房舎施=家に招待する。或いは泊めてあげる。包容力ともいえます。
こうしてみると、誰にもできる徳目ばかりですが、いざ実行となると、必ずしも容易ではありません。「無罪の七施」といい「なくても与える」行為といい、共に“心”が主役です。
いま私たちは豊かさと引き換えに、大切な「心」を忘れ、失いつつあるのではないか。このものあふれ、心貧しい世にあって、最も恐ろしい貧乏は“孤独”だといわれます。』
以前、アイバンク運動で高地へ行ったことがあり、時間があいたので、高知市から1時間ぐらいの安芸へドライブに連れて行っていただいた。
着いたところに石碑がありぽっくりの形をしていた。そこに書いてあるのが
♪雨が降ります雨が降る・・・・・。典子
この典子さんが書いたのだが、彼女はサリドマイド児の方で、足でかいた書だった。坊主が書いた私の字より上手だった。いかに自分の努力が足りないかショックを受けた。
後日その話を、やはりアイバンク運動で行った熊本でしたところ、その典子さんが市役所にいると主催者が教えてくれた。「是非会いたい」というと、電話をしてくれた。
「仕事中は無理ですが、昼休みなら」と、昼休みに会った。
話の中で「力のある人は力をもって、力のない人は知恵をもって、知恵のない人は言葉をもって、言葉のない人は微笑をもって、社会に奉仕ができる。体に不自由があっても心の障害者になりたくはありません。」
典子さんにはその当時5歳の子供がいたが、ご主人は相当な理解のある人だろうと思い、「ご主人はどういう人でしょうか?」と聞くと「平凡なサラリーマンです」と答えた。
ボランティアで知り合った方という。
両手がないが背中を自分で洗う。どうやって背中を洗うのか。口と足でタオルを固定して洗う。工夫すれば何でもできる。「信ずれば通ず」という言葉があるが、意思のあるところにはできる。彼女の辞書には不可能という文字はないと思った。
日本は世界一の長寿国である。
何かを残せ!
私は住職暦60年で現在86歳。3400人を見送ってきた。
「人間限りある人生を終わった時に、人々の心に何かを残したならば、それは死ではない」と伝える。
1. ・・・・・・
2. ・・・・・・
3. 伝えるべきことがあるかどうか
(感動して聞き逃しました)
人間の最後は、身ひとつである。あの世へ行く時は体一つ。
どれだけの周囲の人の心に光を与えられるか?
以上
先日聴いた講演を講演録にしましたので張っておきます。
こんな生き方をしたいと、最近思っています。
「東本願寺派 真楽寺住職
「一隅を照らす」
人間は1本のロウソクである。一度火をつけ消えるまでにどれだけ他の人に光を与えられるかである。たかがロウソクというが暗闇の中ではかなりの光である。この世に生まれ、死ぬまでにどれだけの人に生きる力を与えられるか?それが人間の生き方である。
周囲へ光を及ぼしたい!そこから今日の「一隅を照らす」という話になる。
私は隅を照らすような仕事をしていきたいと思う。
1200年前に、伝教大師「最澄」という人がいた。京都の西にある比叡山延暦寺で「山家学生式」という決まりを作った人。
比叡山延暦寺は山岳仏教。東本願寺は町仏教。青い火、赤い火の近くだと人は堕落した。山岳仏教も一般の人のために里へ降りた。
山岳仏教の比叡山の伝教大師「最澄」は士農工商の身分制度を無視し、「勉強したいものは私のところへ来い!」と言って、向学心のある人は山の方へ行った。
衣食住すべてを見た。大人数なので決まりを作った。それが「山家学生式」
30年前、自分が教育委員長だった時、教育委員の5人の方に言った。
「比叡山へ「山家学生式」を見に行こう!」
教育の原点は一隅を照らす人材を育てる、人間の養成の必要がある。
教育委員会の人たちと一緒に比叡山へ行った。
秘宝館へ行った。銀行の金庫のような分厚い鉄の扉をあけると15畳ほどの真ん中に金庫があり、その中に「山家学生式」がある。
紙は300年も経つとぼろぼろになると言われているので、ページをめくるのが恐かったが、その頃の本はすべて巻物でホッとした。だから1巻2巻という。
「一隅を照らすこれ即ち国宝なり。径寸十枚これ国宝に非ず」
(意訳:隅を照らすような人はこれは国の宝だ。直径3.3cmの宝石を10枚持っていてもこれは国宝ではない)
「国宝何物 宝道心也 有道心人 名為国宝」(道心→求道心)道を求める心が国宝である。
永平寺の道元禅師の言葉「高くとも打つべく、深くとも釣るべし」
(どんなに高いところを飛んでいる鳥でさえ工夫をすれば、弓で撃てる。どんなに深く潜っている魚でさえ工夫すれば釣れる。)
一隅を照らすとは、「その人がいるだけで家庭が明るい。その人がいることによって会社が素晴しい。その人がいることにより会社が活性化する」などのことである。
(マザーテレサについて書いた紙を読む)
『マザーテレサは1928年インドに派遣され、もっとも貧しい人々への奉仕に生涯をささげる決意をしました。
「なくても与える」という彼女の信念は、惨めな貧苦の中で病む人たちを、温かく包み込みました。たとえ愛の一と声をかけるだけでもいい、形あるものをあたえなくても、共に悲しみ、共に喜ぶことによって幸せを分け合うことはできる。愛は物や金だけではない。
中略
釈迦は2000年前に「無財の七施」を説いて財が無くても七つの施しができると言いました。
1. 捨身施=身をもって行う施し
2. 心慮施=思いやり、気配りの施し
3. 和顔施=和やかな顔で人に接する
4. 愛語施=愛情のこもった言葉づかい
5. 慈眼施=慈悲の眼で人を見る。(アイバンクへ献眼登録をする)
6. 床座施=車の中で座席をゆずる。自分が一歩下がって、人を立てる。
7. 房舎施=家に招待する。或いは泊めてあげる。包容力ともいえます。
こうしてみると、誰にもできる徳目ばかりですが、いざ実行となると、必ずしも容易ではありません。「無罪の七施」といい「なくても与える」行為といい、共に“心”が主役です。
いま私たちは豊かさと引き換えに、大切な「心」を忘れ、失いつつあるのではないか。このものあふれ、心貧しい世にあって、最も恐ろしい貧乏は“孤独”だといわれます。』
以前、アイバンク運動で高地へ行ったことがあり、時間があいたので、高知市から1時間ぐらいの安芸へドライブに連れて行っていただいた。
着いたところに石碑がありぽっくりの形をしていた。そこに書いてあるのが
♪雨が降ります雨が降る・・・・・。典子
この典子さんが書いたのだが、彼女はサリドマイド児の方で、足でかいた書だった。坊主が書いた私の字より上手だった。いかに自分の努力が足りないかショックを受けた。
後日その話を、やはりアイバンク運動で行った熊本でしたところ、その典子さんが市役所にいると主催者が教えてくれた。「是非会いたい」というと、電話をしてくれた。
「仕事中は無理ですが、昼休みなら」と、昼休みに会った。
話の中で「力のある人は力をもって、力のない人は知恵をもって、知恵のない人は言葉をもって、言葉のない人は微笑をもって、社会に奉仕ができる。体に不自由があっても心の障害者になりたくはありません。」
典子さんにはその当時5歳の子供がいたが、ご主人は相当な理解のある人だろうと思い、「ご主人はどういう人でしょうか?」と聞くと「平凡なサラリーマンです」と答えた。
ボランティアで知り合った方という。
両手がないが背中を自分で洗う。どうやって背中を洗うのか。口と足でタオルを固定して洗う。工夫すれば何でもできる。「信ずれば通ず」という言葉があるが、意思のあるところにはできる。彼女の辞書には不可能という文字はないと思った。
日本は世界一の長寿国である。
何かを残せ!
私は住職暦60年で現在86歳。3400人を見送ってきた。
「人間限りある人生を終わった時に、人々の心に何かを残したならば、それは死ではない」と伝える。
1. ・・・・・・
2. ・・・・・・
3. 伝えるべきことがあるかどうか
(感動して聞き逃しました)
人間の最後は、身ひとつである。あの世へ行く時は体一つ。
どれだけの周囲の人の心に光を与えられるか?
以上
コメント
大嶽龍太郎 さんのコメント
私も参加した講演会で、これ程真剣に耳を傾けた人はいませんでした。良いことはとことん吸収しようと言う姿勢に脱帽です。日蓮聖人の言葉に「先ずは臨終の事を習うて後に他事を習うべし」というものがあります。人間の真価は死ぬ時にしか判らない物なのですね。
07/22 11:28:06
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