最近本屋に行くと百田尚樹氏著の「海賊と呼ばれた男」が平積みされています。これはあの石油で有名な出光の創業者である出光佐三氏の生涯を書いた小説です。今月の平電機新聞では出光佐三氏について書いてみたいと思います。

出光佐三氏は明治18年に福岡県宗像市で生まれました。8人兄弟の3番目で父は染料に使われる藍玉を仕入れ販売する問屋を営んでいました。家は当時裕福なほうだったので神戸高商、現在の神戸大学を卒業しています。その卒業論文では石炭について書いており、現在でもその論文は保存されているそうです。

石油は当時はまだまだ一般家庭に広まっておらず石炭が全盛期の時代でした。石油の問題点は掘るのにコストがかかり、液体のため貯蔵も大変なため当時の石油会社でさえ石炭に取って代わる燃料とは考えていなかったといいます。その時代に出光氏は石炭の問題点(埋蔵量に限りがある、日本の石炭は露天掘りができないでのコスト面で海外に負ける等)を卒論で書き、今後は石油の時代がくると予想します。



大学を卒業した出光氏は2年ほど神戸の従業員数人の機械油と小麦粉を扱う商社に入りますが、父親の事業失敗のため自分で独立することを決意し、機械油の問屋を九州北端の町門司(もじ)で開業します。今でこそ出光は大企業ですが、身内で始めた商社は当時25歳の出光佐三氏が朝から晩まで働いても赤字続きだったと言います。

当時石油製品は灯油がメインで使われていましたが、灯油はすでに仕入先の日本石油が販売問屋を決めていて、新参者の出光商店では下火と言われている機械油しか販売させてもらえませんでした。さらに日本石油では最低価格を決めており、地域ごとに販売問屋をきめていたため売り上げを伸ばすのは至難の技でした。

そこで出光氏は考えます。どうやったら機械油を買ってもらえるのか?お客さんとしては価格もほとんど同じなら以前のなじみのところから仕入れます。問屋ですので仕入れてそれを売るだけですから訪問販売等のサービスがあったとしてもなかなか販路拡大は厳しいです。そこで油の調合を考え付きます。

当時機械油は、重い機械の潤滑油と軽い機械の潤滑油は同じ製品を使っていました。潤滑油の性能が大きく仕事に左右する会社では性能が良い海外製の潤滑油を使用していましたが、価格が高かかったため、お客さんが満足する性能の機械油をブレンドし価格を海外製よりも安くすると言った商法を考案します。

そこで目をつけたのは漁船の燃料です。当時は燃料といえばガソリンか灯油でしたが、もしこれが安い軽油を燃料として使えばコストダウンになると考えました。そこで漁業関係者に安い軽油を燃料として使ってもらうことを提案し、実験の結果安い軽油でもエンジンに問題が無いことを証明し軽油を大量に販売することに成功します。

その後、出光氏は満州に進出します。満州の最大の会社満州鉄道へ車軸油を売ることを考えるのです。満州鉄道は当時アジアで最大級の会社です。今も昔も同じですが、大企業は中小零細企業など相手にしてくれません。しかし不屈の精神で出光氏は自分がブレンドした油が海外性より品質が良いことを証明します。もちろん値段は海外製より安く満鉄に口座をもうけることに成功します。

これを期に海外進出に力をいれます。日本では縄張りや最低価格などがうるさく自由に商売ができません。そこで満州、中国、東南アジアなどに支店を増やし海外展開をしていきます。第2次世界大戦中は社員も多数徴兵されましたが、日本のため、また支店を出している現地の人のために従業員は他社の2倍以上働き石油製品を供給し続けました。

しかし1945年に終戦を迎え、海外の支社や資産はすべて失いました。その状態でも出光氏は従業員を解雇することなく事業再会に動きます。ただ、アメリカの占領下にあった日本では石油は自由に扱える商品ではなかったので、それこそ何でもやったそうです。農業、漁業、ラジオの修理業。

その後、石油が自由に扱えるようになってくると、良い石油を日本国民に安く供給するために、当時石油を牛耳っていたセブンシスターズと言われる海外の7社と戦います。敗戦後の日本は品質の高い石油を世界水準より高い値段で購入していました。それはセブンシスターズの策略でした。そこでセブンシスターズの息のかかっていない石油を探します。

それが当時日本と国交正常化がまだ行われていなかったイランでした。イランはイギリスの石油会社(イギリスの資本が入った会社で、セブンシスターズの一員)ともめていたために経済制裁を受けていて石油を販売できずにいました。

そこで出光氏はイギリス海軍と戦うかもしれない危険を冒しながら自社のタンカーをイランへ派遣し無事品質の良い石油を日本に持ち帰るのです。それにより日本はセブンシスターズに牛耳られること無く国際社会でも競争力が持てる国になったのです。

出光佐三氏は「士魂商才」の経営者といわれています。武士の精神と商人の才能と言うこの言葉は「商売はお金儲けだけのためにある」と言う考えの人々とは明らかに違うアプローチでの経営を考えています。出光氏の生涯を書いたこの小説を読んでみると苦労の連続です。しかし「士魂商才」の経営でこれらの困難を乗り越えていきます。現在のわれわれ日本の中小企業も困難の連続ですが、出光氏の精神でこの時代を乗り越えたいと感じました。